全身が呼吸に協力的である方が体は楽であることは物凄く簡単に実験可能です。
通常私達がしている呼吸は基本、体の全ての細胞が壊死しないように酸素を取り入れる為にしているのだと思います。
空気を取り込むことも一つの運動、空気を排出することも同じく一つの運動です。
それで僕は、この通常の、とにかく命を維持する為に呼吸している時に、どちらかと言うと空気を取り込む時の方にエネルギーを多く使っているように感じますが、皆さんにはどのように感じられるでしょうか。
空気を取り込む為にはこのブログでも何度か触れていますように、体の内腔、容積を広げる必要がありますから、これは、単純にゴム風船を思い浮かべてもらうと分かりやすいかと思いますが、膨らませるだけのエネルギーか最低限必要です。
排出するには、その膨らませる努力を止めてしまえば縮む力が働いて勝手に吐き出させてくれます。
それから、そういった張力の折り返しによる収縮だけでは無くて、体そのものが地球の重力によって地面の方向へと引っ張られてますから、それに任せることによってもやっぱり体の内腔は少し狭くなり、息を吐かせてくれます。ここに気付くと息を体内に取り込むということは、重力にも逆らう必要があるのですから、やっぱりその分多くのエネルギーを必要としているのが分かります。
先ずはこの事実を単純な形で拡大したような動きをやってみるところから始めてみると、もう随分と前の回にご説明した、呼吸とは決して鼻や口が空気を吸引している訳ではないという話にも繋がって、より理解が進むことにもなるでしょう。
呼吸とは体が動いた分、その内腔の広がりに見合った量が肺に流入するものなのです。
例えば、挙手するように片腕を挙げてみます。又は軽くストレッチするような感じでも構いません。この時に特別な力みを伴っていなければ、もう、その動きをしただけで既にその動いた分に見合った量の空気を体は取り込んでいます。
今、特別な力みという表現をしましたが、例えばアントニオ猪木さんが「1、2、3、ダァーーー!」と言いながら片腕を挙げる時は声を出している訳ですから息を吐いているのです。
そんな特殊な事情では無くとも、事務仕事やなんかの途中で気分転換がてら「ンーーー」などと唸りながら伸びをすることもあるでしょう。
その時はきっと、溜まった何かを発散する意味合いが強くなっているので体を伸ばしながら序でに声も出てしまうのだと思います。
これらは厳密に言うともう既に表現の一種で、僕のワークショップやブログのタイトルで言うところの“呼吸が切り替わった”状態です。
所謂、安静時呼吸を通常の呼吸とすると、それとはちょっと違う呼吸のパターンが表れた状態と言えます。
今の時点では分かり難いかも知れませんが、気分転換に唸り声をあげながら伸びをしている時、それは、例えばピッチャーがボールを投げる、ボクサーがパンチを打つ、サッカーでPKを蹴る、歌う、踊る······等々、自分の内にあるエネルギーによって外部に働き掛けるという意味で全て同じタイプ、“切り替わった”呼吸をしています。
それで今、先ず初めに説明を試みているのはこの切り替わった呼吸ではなくて、切り替わってない呼吸の方です。
但しこれは本気で考察を試みようとすると本来はもうちょっと複雑な話とはなります。
例えば教室で先生に向かって前向きな気持ちで挙手する時、「はい、先生!」等と大きな声を出している時は当然息を吐いている訳ですが、黙ったまま堂々と手を挙げることだってある訳で、つまり自分の存在をそうやって表現しているのですが、きっとその時は自然と少し息を取り込みながら挙手していることが多いと思います。
タクシーを呼び止める時も似ています。声を伴う時とそうでない時、「ここに居る私に気付いて止まってください」と、発しているシグナルは同じでも、何らかの声を伴っている場合は呼気、黙って冷静に手を挙げたなら吸気というパターンが多い筈です。
また、単純に声を出すと言いましても、本当に外部に聞こえるか聞こえないかというレベルでぶつぶつと独り言を言っているような時、「あぁー、昨日もカレーやったなぁー」とか。それを、自分の内部のエネルギーを外側へ向けて放出しているとは言えないものもあります(寧ろ誰かに聞かれてたら恥ずかしいもの等)。
子供の頃、クラスのみんなの前で一人ずつ作文を読まされたりしたような時、自信が無くて消え入るような声でしか読めなくて「聞こえませーん」とか言われているような場合も、声は辛うじて出してはいますが、エネルギーの向きは寧ろ逆向きと言えるでしょう。
こんなことも、また記事を重ねるに連れてもっと詳しく書くことにもなると思います。
それで本題に戻って、特に力むことなく適当に挙手してみると、もうそれだけで挙手した側の胸郭が特に広がりますから、その広がった分のスペースに空気は流れ込んで来ざるを得ないのです(勿論挙手してない側の肺にも空気は流入していますが)。
これは、鼻や口で息が出来ると思い込んでいる人や、胸や横隔膜、お腹の動きのみを重視している人、それにそんな小難しいことまでは行かなくとも、何となく子供の頃から「はい、大きく息を吸ってーーー」とか、「はい、吐いてーーー」とか、そんなことをほぼ気を付けの姿勢でやらされた経験のある多くの人に取っては、にわかには信じられない現象です。
ちょっとした体の動き、それこそが呼吸なのですから。
そのように事実を見てますと、胸部レントゲンで胸と肘を機械にピタッとあてて静止したままで大きく息を吸わされるのが如何にやり難くて苦しいかが理解出来ると思います。効率の悪い呼吸の見本のようなものです。
普段は無意識に放っておいている呼吸てすが、いざ呼吸のワーク、呼吸の勉強、などとなって意識してしまうと、しっかりと吸い込んだ満足感が得られないと、充分な空気を取り込めていないのではないかという、半ば強迫観念のような感覚が浮上することはよくあります。
食物を摂取する時に、満腹中枢なる用語が度々聞かれることがあって、栄養面からして、もう充分な量の食物を摂っているにも関わらず、食欲を司る脳の一部が満足しないので必要以上に食べ続けてしまうことがある、というあれです。
僕は呼吸にもそれに似た誤った感覚が発生していることがよくあるのだと、この呼吸のワークをやらせてもらっていて感じます。
ここで本当に大事なのは、脳が充分な息を吸えたとか足りないとかの勘違いした満足感ではなくて(勿論、いつか触れましたが脳は酸素の消費量全身の中で随一なので満足しないといけないのですが、その実際の必要量をも越えてしまっている可能性があるという意味でです)、今その時の運動量やどのようにその場に居るのかに見合った、多過ぎることも少な過ぎることもない量の空気を効率良く取り入れられたかが重要なのです。
覚えてくださってますか、体のサイズにピッタリの枠に嵌められたら恐らくは窒息してしまうでしょうという記事。
この本来のメカニズムを体が思い出してくれると、指先や足首、膝の裏側や、耳とか瞼までも、体のどの部分のどんな動きにでも呼吸との関連を見出だすことが可能ですが、先ずは胸、胸郭が繋がって動いてくれる腕や肩を動かして、その都度その動きに添って勝手に体が空気を取り込んでくれていることを確認するのがお勧めです。
ここまで長々と書いてみて、こんなことはやっぱり実際にワークとして体を動かしながらやるもんだと改めて実感します。
同じ空間に居ようがオンラインであろうが、同じ時に同じ人間同士でああでもないこうでもないと楽しく動いてみて、寝息に似たような穏やかな気息音をお互いに耳にしながら交流することで納得がいく、府に落ちる、という状態に出会えます。
その様子で次から次へと色んな気付きと共に新しいワークが生まれ、懐かしい感覚や反対に未体験の世界を覗き見たりする、そんなことが叶うのです。
その証拠に、冒頭の動きの説明を読んで真面目に挙手したりストレッチしてくださった方がもし居られましたら、「いつまで手を挙げさせとくねん」と怪訝な表情でここまでお読みくださったのかも知れませんが、実際のワークではこんなタイミングの悪さ、クライアントさんをほったらかしにして語り続けてしまうような愚行は、時々しか起こりません。
それで、どうぞ手はもう降ろしてください。そうすると、息を吐こうとしていなくても、手を降ろすという動きに伴って呼気は排出されます。
柔らかく手をそっと挙げてみると、もうそこ(体の中)には息が入っている、そして静かに滑らかに手を降ろすと柔らかな息が体から出て行く。
これからもっと詳しく書いて行く積もりですが、これが体験出来ただけでもかなり体は楽になります。
その昔、歌手の松山千春さんはザ·ベストテンに初出演した際に「黒柳さん、俺やっぱりカメラの前で歌うの淋しいよ」と言ってました。
あの時は「そうか、そういうもんかなぁー」とアホみたいに納得してましたが、冷静に考えると、レコーディングの時はポツンと吊り下がったマイクだけに向かって歌ってますやん。
それで、そういう一時のツッパリとは違いまして、やっぱり呼吸のことを文章で、って言うのは単なる書いてる本人の自己満足であって、作業としては本当に淋しいです、黒柳さん。こんな文章は厳密に言って何の役にも立ちません。
が、ワークスケジュールが余りにも暇なので、何か関連して働いてます感を出すといった感じの意味合いで書かせてもらっている訳です。
でも、内容はちゃんと真摯に書いてます。ただ、ワークはこんなに複雑で面倒では無いということだけは強調させて頂きます。
そしてこれからも、ブログはつづきます。
今回は前置きナシ、でしたので、次回は前置きに付いて書く積もりになっています。