呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

別に“ニイさん”の話で有耶無耶にしようとしてる訳じゃない

体で呼吸するとはどういうことでしょう。

何故僕は、息や声をお腹で支えるという表現に対して不全感を抱いてしまうのでしょうか。

横隔膜が収縮して胸郭の空間が広がることで肺も広げられ、そこに空気が流れ込んで来る。肋間筋も働くことで肋骨そのものも広がり、より肺も多方面に広がりやすくなる。

息を取り込むことに関しては、それで良いんじゃないか、それ以上徒に話を複雑な方へ誘い込まなくても良いんじゃないか、と思うでしょうか。

横隔膜の直ぐ下には消化器系の内蔵が収まった腹腔がありますから、横隔膜が空気を取り込もうとして収縮すると下方(足がある方)へ下がりますから、その直ぐ下にある内蔵も少し押し下げられる格好になるのでしょう。なのでお腹の下の方も膨らむので、人によっては恰もお腹にまで空気が入ったような錯覚を起こすこともあります。

この感覚が特に悪いとは思いませんし、こうした感覚が心身の充実感や安定感をももたらす可能性は大いにあると思います。が、それを成さしめる更に深い処に視野を広げる必要性をここでは伝えようとしています。

きっと呼吸に関してお腹を重視すること、腹式呼吸などという呼称が生まれるなどの感覚は、この辺りまでで呼吸のルートを辿ることを止めてしまった時に生じるものなのだと想像します。

そうすると、この取り込んだ息を送り出す時、即ち息を吐き出す時、その時に今度は何らかの方法でその下腹部辺りに力感を加えて、厚みのある声を作り出そうとしたり、又、空気が排出されると共に徐々に萎んでゆく下腹部の収縮速度を少しでも遅らせることで、発声の持続時間を長引かせようとするのでしょう。

きっとその時に察知する体感を、それをやる多くの人が「お腹でしっかりと支える」と表現するのではないかと思います。

発声持続時間の伸長に関しては、このやり方で上手く行く人も中には居るのではないかと思います。

低音の効いた厚みのある声、こっちの方は、下っ腹に力を入れることで、その部分、このやり方で本当に息や声の支えになっているのだとして、その意識的に加えた力が本当に必要な箇所にのみ影響を与えているのかどうかはよくよく吟味する必要がありそうです。

首や肩、喉頭周辺に、ほんの少しの緊張も副次的に産み出していないかどうか、そしてもしかしたら、このやり方で出た厚みのある声は、実はその余分な力みによって出来た副産物である可能性は無いのかどうかを、真面目に取り組んでいる人程、慎重に点検してみる必要があると思います。

体が本当にやりたがっている呼吸、そこから必然性を持って産まれて来る声。

そこにもう一工夫というある種の欲が顔を覗かせて頭が捻り出したアイディアによる呼吸と声。

この全く違う二つのパターンがもたらすもの、その結果はどのように違ってゆくのでしょうか。

つづきは話す道筋が纏まった頃にまた書かせて頂きます。

ホントにあった怖くない話(ほんこわ)

もうかなり前に男湯のくだらない話を書きました。(この記事です→ https://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2020/04/14/233030 )

それ以来のどうでもいい話をひとつ。

ちょっと知り合いの頼みで荷造りや梱包・袋詰めの仕事を、ちょっとボランティア気味に手伝って来ました。その現場での話です。

作業の責任者風の方が僕の近くに居た男性に向かって「じゃあニイさん、ちょっとこの荷物持ってもらえますか」とか、「あ、ニイさん、ちょっとその作業一旦止めてこっち来てもらえますか」、といった感じで、色んな作業を次々に頼んでいました。

一瞬は「兄さん」ってざっくばらんに呼び掛けてるのかとも思ったものの、なんか雰囲気的にそんな砕けた呼び方をする感じでも無い、極めて真面目な感じの人だったので、そういう名前の人なんだなと納得しました。

そう、僕は臨時で来てるだけの右も左も分からない立場ですが、その頼まれまくってる人はきっともう名前も呼ばれてどんな作業でも頼まれる常連さんなんだな、と思いながら自分の作業を粛々と進めていました。

ニイさん······ちょっと珍しい名字で、漢字はどんな字を書くのか、新居さん、仁井さん、新井さん······等々。そこから勝手に波及して、そういえば昔広島カープに新美っていうピッチャー居ったな、とか、合羽橋道具街のニイミのでっかいコックの看板を思い出したりとか、飛躍した妄想をしながら働いていました(ちゃんと集中して働かんかい👊)

そうしてる内にまた、今度は僕の直ぐ側で、「ニイさん、ちょっとそっちの端っこ持ってもらっていいですか」······「あ、すいません、ニイさん、これ、ちょっとこれ持ってもらえますか」······2回も聞こえたのでそっちを見ると、なんと僕に言ってるのでした。

それで、やっぱりこの人、名前が分からん人にはみんな取り敢えず“兄さん”って呼んでたのが判明しました。

なんや、やっぱりそうやったんか。

それでよく観察してると、女性のことは取り敢えず“姉さん”とか“お姉さん”と呼んでます。

身なりに似合わず適当やな、と、これでこのくだらない勘違いエピソードは一件落着。

の筈でした。

それで、朝からそんなこと考えていたのもすっかり忘れて夕方になって、掃除や片付けを始めた頃に事件は起こりました。

一緒に掃き掃除をしていた中年から初老の男性が(←もう、むやみにオッサンとは表記しなくなりました、僕もやっと大人になりました)おもむろに「あの担当の人、色んな人に“ニイさん、ニイさん”って言うじゃないですかぁ」と話し掛けて来たのです。

それで僕は「あぁ、そうですよねぇ」と返しながら、この中年の男性はきっと、もう少し節度を持ってやってほしいとか、仕事場らしく礼儀正しくやってほしいとか、そんなことを言い出すんだとばかり思って聞く準備をしてましたら、その後にその人が言った台詞が驚愕でした。

「私、名字が“ニイ”って言うもんで、紛らわしいんですよ」

「あの人が“ニイさんニイさん”言う度に反応しそうになっちゃって(苦笑)」

うぅ~わっ、こんなとこに“ニイさん”ホンマに居った。そらぁ“ニイさん”だけに、オッサンとは表記できまへんわ。

今から思うと漢字はどう書くのって訊いとけば良かったんですが、その時はあまりのことに気が動転して······(←呼吸法が全然役にた立っとらんやないかい👊)

作ってないですからね、あくまでも実話、同じ作るんだったらもっともっと強烈に面白い話にしますから。

ホントにあった話です。

😪よ~~~寝ました😪ワークの感想ついでに先日からの続きもほんの少々😪

昨日今日とオンラインワークに沢山ご参加頂き誠にありがとうございました。

昨日はお一人で二枠独占(笑)、今日は午前と午後それぞれに数名の方に来て頂いてとても楽しく過ごさせて頂きました。

特にコロナ騒ぎ後にオンラインワークが始まってからは、ゆっくりゆったりとワークが進むようになって、90分という時間の枠が物凄く速く感じてしまいます。

僕もご参加の皆さんも、やっぱりこの現代に身を置いて日々の暮らしを維持する中で、不都合な緊張も知らず知らずの内に溜まっていることでしょう。

ワークを丁寧にやると、それらが表面に浮上して来ますから、見て見ない振りは出来ません。

なので本当は、休憩を挟みながら半日位掛けてワーク漬けってのも皆さんと是非ともやってみたいことです。

そして何故か今日はその事を特に強く思いました。

皆さんとのワークが終わってから、珍しく何んにもせずに、それはそれはよ~く寝ていました。

今日も皆さんに気持ち良い心地好いあくびを沢山して頂いて、緩んでいく様子にこちらも包まれて、何か感ずるところがあったのでしょう。本当に生きておれば色々とありますからね。

そんな意味でも、ご参加くださった皆さんには感謝です。ありがとうございます。

先日の記事で少し書いた息や声の支え、お腹じゃないとしたら一体何処なのかというお話に関してですが、全くこのワークに関わっていない方がどのようにお感じになるかはちょっと分からないのですが、多くの方は足(脚)とお答えになるように感じていて、それはある面では大正解と言えますが、でも、厳密に辿ってみると、そのずっと先にまだまだ深遠なる答が見えて来ると思っています。

何しろ息や声を充実させるということは、鍛えることでは無く、大切にすることですから、何を何処を大切にするのが終局的な答になるのか、そんな話なんです。何処もかしこも自分の都合で鍛えられるかと言ったらそういうものでもありませんし。

それではまた次のワークで皆さんとお会い出来ることを楽しみにしております。

※終了しました➿また連休ですね➿そんな時は➿オンラインワークショップのお知らせ➿

11/22(日)と23(月)は連休なんですね。そこで又、二日間のオンラインワークショップを開かせて頂こうと思います。

二日間共、10:30~12:00と13:00~14:30の二枠です。

参加費は、一枠目が¥2,000-、二枠目以降は日を跨いでも¥1,000-で、二日間で計四枠全てご参加の場合¥5,000-ということになります。

お申し込み頂いた方にはZoom ID(&パスコード)+バックアップ用にSkype URLをお知らせします。

ここのところブログの記事では皆さんに上から目線で問い掛けるようなことを時折書いておりますが。

例えば、体に任せるとはっきりとしたある答に辿り着きますがその答が分かりますか(この記事です→ https://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2020/09/21/155020 )、とか、息や声をお腹で支えるのでは無いとしたら何処で支えるのか、そして読者の皆さんはきっと“全員”間違った答を思い浮かべている筈(この記事です→ https://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2020/11/14/233532 )、といった内容です。

ワークショップでは、勿論そのようなことを言葉で説明などしません。

どうか一緒にその辺のところまで感じて頂ければと願うものです。

多くの皆さんのご参加をお待ちしております。

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次は何処へ話を繋げましょうか

呼吸の話のつづきです。

鼻や口に息を取り込む機能が無いのだとしたら、どうやって体の内側、つまり肺まで空気を送り込んでいるのか。

大体これ迄にお医者さんや科学者と呼ばれるような方々が導き出しているメカニズムは、横隔膜や肋間筋の働きによる肺の拡張が空気の流入を促すというものです。僕も自分の体を感じてみると、多分それで合ってるんじゃないかなと思います。

急に物騒な話をしますと、息を強制的に遮断するには、例えば濡れた紙や布で鼻と口を塞いだり、総合格闘技チョークスリーパーに代表されるように、何らかの方法で気道を圧迫して塞いでしまう事が頭に浮かぶでしょう。

でもそれ以外で息を止めてしまう方法があって、本当に実現可能かどうかは別ですが理論上、レオタードの全身タイツ並みの精度で個人の体型にピッタリの型枠を金属やセメント等の弾力の極めて少ない素材で造ってそこに体を嵌め込むこと。

そんなものにすっぽりと嵌め込まれたら、鼻と口がどんなにクリアに開放されていても関係なくなる、体の外側にピッタリと張り巡らされた壁が体の膨張を阻害して、息は出来なくなるというものです。

それ位、呼吸とは首から下の体がしているものです(※皮膚呼吸は別です)。

ある時ある知り合いの人から、アンドロイドの研究で有名な石黒教授をパントマイムのような方法で騙したい、つまり生身の人間がアンドロイドの振りをしてアンドロイドが陳列されている中に紛れてトラップを仕掛けたいから、呼吸がばれない方法を考えて欲しいと相談されたことがありました。

それで結論は、厳密に体の表面に呼吸のうねりが伝わらない技術は、息を止め続ける以外には捻り出せませんでした。

今日の記事では詳しく触れるところまでは進めませんが、これから書き進むこともあるであろう、体の動きと呼吸との密接な関係性を体レベルで理解、つまり体得すれば、かなり良い線迄は行くと想像されるのですが。何しろアンドロイドは自慢気に常に何らかの動きをしていて、その動きが如何に人間に近いかを披露することに一つの存在意義があるようですから、その動きを利用して呼吸しようという提案です。が、何回かに一回は必ず胸郭や腹部も大きく拡張させるような量の空気を体は欲しがると思うので、完璧な解答を導き出して意気揚々とはなりませんでした。

ただ、この相談事の中で気付いたことですが、いくらアンドロイドが人間にそっくりで、何しろ瞬きだけはこれ見よがしに頻発させてますからリアルだリアルだとは言っても、呼吸のうねりは表現されてないのを知ってちょっとがっかりして、それで、「これはこっちの負けではなくて、呼吸の再現にまでは気持ちが及んでいないアンドロイド博士の負けでしょ」と、負け惜しみを言いました。

それで、それ位に、どれ位に?「アンドロイド博士の負けでしょ」と負け惜しみを言う位に呼吸とは体が受け持つ営みなのです。しかし体という一言で片付けられるものでしょうか。究極的には体も体を包むこの世界の何もかもが一つという境地に達するのかも知れませんが、その前に、もう少し精度高くその内実を見ておいた方が良いように思います。

虹は七色と言われますが、その七つの色の境目にまで気持ちが及ぶとそこには際限無く細分化された到底把握し切ることなど出来ないグラデーションが存在することに気付く筈です。そのように気付いた時に初めて、全てが混ざり合わさった一つの光に立ち返ることが叶うと思うのです。

世間ではよく、腹式呼吸・胸式呼吸とか、もうちょっと感覚的だと、浅い呼吸・深い呼吸とか、何気ない会話にも出て来る位に馴染みある表現として話されることがあります。

ご参考までに、僕がやらせてもらっているワークショップが何なのか、その一面を簡単に説明するならば、このような単純な言葉の印象と、呼吸の本質が如何にかけ離れたものであるかを体感して頂いているようなものです。

特に“胸式呼吸が浅くて腹式呼吸が深く本格的な呼吸である”などと軽々しいことは言わなくなる、それどころか、“腹式呼吸”という言葉そのものが現在形のボキャブラリーとしては機能しなくなると思います。

呼吸の本質に少しでも触れたなら、腹式呼吸などといった表現は、自分の中からは一切浮上して来なくなるでしょう。

何年か前は時々合唱連盟とか、アマチュアやプロの声楽の団体に一日講師として招かれていたこともあります。

それらはお腹でしっかりと息や声を支えるとか、教えちゃったり教えられてしまったりしている人が多い団体、そんな印象を受けていて、あながちその印象は間違いではなかったように思います。

そんな人達が実践したり目指したりしているように、仮に本当に息や声をお腹で支えるとしましょう。

しかし、お腹が宙にぽっかりと浮かんでいる訳では無いですから、ではそのお腹は何が支えてるのかと、順を追って見ていけば自ずと本当に支える土台にまで意識が向くと思うのですが、どうやらそうはならない様子でした。

「声を出している時、お腹は出っ張るんですか、引っ込むんですか」とか、「最近歌の為に腹筋運動を始めました」とか、素晴らしい笑顔で言って頂いて、何も言えなくて困ったこともありました。

そんな方々に「スケートリンクや泥沼の上でもお腹で上手く支えられますか」という問い掛けをしても、却って意味が分からなくて混乱するような有り様で。

もしそのような対話がスマートに成り立ったなら、本質的な呼吸の源とは、何を何処を、どう大切にしなければならないかを鮮やかな印象と共に分かって頂けたかと思うのですが。

それでこの答、何を大切にするか、本質的な呼吸に出会う為には······、分かりますか。

僕は、例えばこのブログの読者さんが10人程とすると、全員間違った答を今頭に浮かべて居られるのではないかと思っています。

答え合わせはもう暫く後に、かなり先の記事ですることにして、今回先に伝えておきたい内容を纏めに掛かりたいと思います。

呼吸とは鼻や口ではなく、どうやら首から下の体で営んでいるようだ、で、それに加えて、でも、胸か腹のどちらかとか、その両方の配分とか、そんな単純なことでは済まされない、もっともっと玄妙なるものなのではないかということです。

次はそこのところを、もう少し詳しく繙いてみます。

今回、変な例えがありましたね、体にピッタリの型に嵌められたら息が出来ないという空想。その状態で、例えば片方の手首とか足首だけ、その型枠から解放したらどうなると思いますか。もっと細かくすると、一本の指先だけ、とか。その時、呼吸はどうなると思いますか。

色んなご質問も、お待ちしております。

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先ずは屁理屈みたいな、でも本当は屁理屈でも何でも無い大事なところから話を始めてみましょうか

何の話か、呼吸の話です。

一時期は繰り返し訴えていた、呼吸という言葉を使わないようにという信念は今もずっと変わりませんが、言葉の便利さに勝るものへとは未だ辿り着けていない状況なので呼吸という言葉を使います。

この呼吸という言葉を使わない事は、体の中でその営みにすっかり馴染んだ時に、色々な名前·名称が如何にそのものの本質深く又は広く迄を感じ把握させるのを難しくしているかに各々で触れて頂ければ良いと思っています。

呼吸の話では無くとも、木とか花とか、世界中に一体いくつのそれらを網羅した辞書や辞典や論文·学説があるか分かったものではありませんが、例えそれらを全て読み切って理解したとしても、木や花の全てを分かったことにはならない。寧ろそのような文字や言葉に出来なかった、成らなかった事、そっちの方に永遠の広がりがあると感じるものです。

これは人間という名称·呼称もそうですし、貴方個人のお名前でも同じだと思います。

なので遅かれ早かれ何れかの時点で、呼吸という言葉から離れる瞬間に出会って頂ければ良いと思っています。

それでやっと話が始まります。

鼻から或いは口から息を吸うことは可能ですが、鼻で或いは口で息を吸うことは不可能、これは屁理屈に聞こえますか。

気管を通して肺まで空気を到達させるという話で考えますと(つまり皮膚呼吸のことは含まれません)、鼻と口が入口·通り道となるので鼻から口から息を吸うことは可能です。しかし、鼻そのものに体の外側にある空気やその他を、鼻よりも奥の体内へと呼び込む能力は無いように感じるのですが皆さんはどうでしょうか。このようなことは解剖生理とか医学関連の書物に“答”は書いてあるのでしょうが、各人が自分の体で体験してみることが大切です。もしかすると出来るかも知れませんから。

口は鼻とちょっと様子が違うようで、例えばストローや唇で液体や流動体·個体も吸い込むことは出来ます。この能力のメカニズムを自分の口の中の感覚に集中してよくよく検討してみると、頬と舌の筋肉を駆使して口腔を極力小さくすぼめてから、舌を後ろへ引いている、つまり注射器に液体を取り込むような動きをしていることが分かります。

なので、口の外側にある何かを口の中までは器用に取り込むことが可能ですが、その機能では、気管から肺にかけて空気を送り込むことは出来ないと感じますが皆さんはどうでしょう。

なので、鼻や口 “ から ” 息を吸うことは可能ですが、鼻や口 “ で ” 息を吸うことは不可能ということになります。

こんな重箱の隅をつつくようなくだらない話題ですが、こんな所からでも呼吸の本当に辿り着ける話の始まりになればと書いてみました。

ただ、こんな事を長々と書き連ねてはいますが、例えば初めて僕のワークショップに参加した人が、「息は鼻で吸うんですか、それとも口で吸うんですか」と質問されたとしても、「両方違います、どちらも無理です」などと嫌みったらしくここまでに書いたようなことをだらだらと説明するものではありません。そのような応対は単なる意地悪というものです。このように質問する人はきっと、「鼻で、口で」と言う時にそれは、「鼻から、口から」という意味で仰っているのは分かってますから。

それでも、呼吸の本質を本気で体感し自分のものにしたいという真剣さが感じられたなら、「厳密に言うと······」という形でこの記事に書いたような事から語り始めることもあるでしょう(※これ迄の経験では鼻や口に息を吸う能力があると思っている人も割りと居るようですが、殆んどの人がそんなこと考えてもみなかったというのが本当のところで、そのような人達にここに述べたようなことを伝えると大抵は目をぱちくりさせてキョトンとしたような顔付きになります)。

この文章にVol.1とか①とか第一回などの番号を付けると僕が不得意の続きもの·シリーズものに自ずと自分を追い込んでしまうことになるのでそれはしませんが、明らかにこれは続きのある文章です。

今のところ、時や場所が変わってもそう簡単には内容に変化が無いような事を書こうとしているからです。

ワークショップの録画を観ても特に役に立たない感じがしますし、ワークショップ未体験の人が先にそんな映像を観てしまったら却って良くないんじゃないかとさえ思いますが、この記事に始まりこれから書き連ねようとしているような内容であれば、動画・YouTubeなんかでチャンネルを立ち上げるのも良いかなと感じています。

それはそれとして、気が向いた時に又続きを書かせて頂きます。

色んなご質問も、お待ちしております。

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今日のワークショップ

広島の皆さんにお世話になってから、もう一週間経ちました。

今日は午前と午後の2回、いつものオンラインワークショップを行いました。今回参加者は2名でした。

最近のワークで前面に出て来る感覚は、何処か体の一ヵ所にアプローチしている時も、それは常に体全部や体の周囲まで含めた全体へのアプローチであることです。

呼吸の要点の端的な表現の一つとして、「呼吸器官だけを孤立させないこと」が挙げられます。

解剖生理学で呼吸に直接携わる器官と言えば余り多くは無いのでしょうが、実際には呼吸器官と呼ばれる以外の体全部が如何に呼吸という営みを無視せず協力的であるかが非常に重要です。

なので、「空気は肺にしか入らない(なのでお腹なんか関係無い)」と考えたり、「お腹も大事だからお腹でしっかりと支えなければならない」と考えたり、これらはどちらも自分一人で納得してやってもらう分には勝手ですが、他人に決して押し付けてもらいたくないやり方です。

何故かと言うと、そんな無責任な教えを真に受けて努力を重ねてしまったばっかりに呼吸や声の調子を崩した方々のケアを度々して来て、一度身に付けてしまった間違った癖は、一生取れないんじゃないかと途方に暮れる程に大変だと、何度も何度も感じたからです。それで、前言撤回です。やっぱり自分一人で納得して勝手にもやらないでもらいたい。その人も巡り巡ってケアする羽目にならないとも限らないから、尻拭いは御免です、御免なさい。

あ、こんな愚痴を書く積もりではありませんでした。

呼吸器官を孤立させては本来の呼吸が成立しないのと似た感覚で、首や肩の凝りや疲れを解そうとする時に、首や肩を体の他の部位と分けてアプローチしないことが大切だと常々感じています。

首や肩を動かしながらも、隣り合った部分から段々と視野を広げ動きの裾野を広げて、頭の天辺から足先や足の裏までの微細な繋がりを捉え認識することが肝要です。

さて、ここまでが前置きだとしたら、長くなりそうですね。面倒臭くなった方はどうぞこの辺で読むのを止めてください。

そんな風にして、ついつい重かったり疲れが把握し易い箇所に目が向き勝ちなのを敢えて全体として捉えることで、呼吸も豊かに復元されることはよくあります。

Zoomの画面越しに皆さんと対面した瞬間にそんなやり取りが流れ始めて、自分自身も一緒にその流れに乗せて頂いて、その流れから見えて来る景色をレポートするような感覚で新しいワークが降りて来たり体の深い処で極めて簡単な言葉が新鮮さを伴って見付かったりします。

なので、朝の10時半頃にワークショップが始まった時には想像も出来なかったような状態に、14時半とか15時頃にはなってしまっています。

時にはまるで色んな宗派という概念を越えるような宗教的な感覚で体は語り出しますし、時には哲学的でもあり、物凄く普遍的だと感じさせる場合もあります。

訳が分からないのに何故か懐かしい景色に出会ったり、或る日書物で読んだことが突然腑に落ちたり、そんな時にワークショップのオーガナイザーとしての“僕”はもうそこには居ません。何かを伝える媒体、エネルギーのバイパス、筒······。

とまぁ、最近はこんな不思議な時間が益々多くなっています。

今これを途中で投げ出さずに読み進めてくださった貴方がもし今日のワークショップに参加して居られたら、今日のワークショップと同じにはなっていません、それはそれは色んな意味合いで。

これは余りにも当たり前の事実ですが、とても大事なことです。

いつどんな時もその時そこに集まった人と、その時その場を包んでいる世間の情勢も含めた空気全般が、新しいワークを創り出して行きます。