寝坊は寝坊で反省し、これからは繰り返さないようにしないといけません。
ところで昨日のワークショップでは、骨盤を構成する骨一つ一つの感覚を大切に味わうということをしました。
それで、物凄く地味な話なのですが、暦というものの凄さを体で感じる機会に恵まれたのです。
前回も少し違うやり方で骨盤に寄り添ってみました。その時、骨盤の中に感じる季節は明らかにまだ冬だったように思います。
しかし昨日感じたそれは、紛れもなく春の気配を纏っていました。立春を過ぎて、確実に体も変化しているのです。
繊細な感覚の持ち主でもっともっと才能のある人はしょっちゅう感じておられて当たり前のことなのかも知れませんが、僕個人としてはこんなにも明確に自分の体の中に季節を感じたのは初めてで、それがかなり嬉しいことでありました。
本当に素晴らしい体験、気付きを持たせて頂きました。
昨日は寝坊の原因として部屋の氣が入れ換わる程の断捨離敢行に付いても書きました。
この大規模な断捨離の内容はと言いますと、衣類、写真、紙の資料、でした。
それで、春の衣替えにも因んでちょっと衣類のことも書かせて頂きます。
今回お別れした服の数々は、全てが頂き物でした。その殆んどが、元々僕の為の物では無くて、例えば、福袋の中の自分は使わない物だが捨てるのは勿体無いから着てください、といった理由で回って来たような、実は僕の心身がちっとも喜んでない物ばっかりだったのです。
これまで装いや外観には善くも悪くも拘りが無く、そのような氣の向かない貰い物でも何でも平気で着て暮らしていましたが、今何故かこの時季になって、ちょっと違うなと感じ始めたのです。
それでそのような服また服といっぺんにお別れしましたので、肌着と上から羽織る物だけしか手元に無い状態になり、新しい服を何回かに分けて買いに出掛けました。
体型の意味に於いても今の経済状況という意味に於いても身の丈に合った、本当に自分で選んで気に入ったデザイン·色·素材の物、パッと見て「これだ!」と反射的に手が伸びる物を楽しみながら買い揃えてみました。
そうしてみて本当に、これまで自分を大切にしてあげてなかった面、生活の中のほんの細やかながら楽しめる要素を蔑ろにしていた面、心身が本当に喜ぶことを粗雑に扱っていた面に、強烈に気付いてしまいました。
何も外面の体裁を整えるだけで中身を軽視するといった話などではあろう筈が無く、どんな物でも有り難がって着させて頂く気持ちが大切、根本的な人間性そのものが大事だと言えば話は纏まり易いのでしょう。
しかし一方で、最も身近で先ずは最も大切にしてあげないと何も始まらない自分自身という存在を大切に包んでくれる衣服に氣を使うこと、これは、実は物凄く大事なことなんだと今頃この歳に成って気付かせて貰えたのです。
ブランド物の高級品を揃えたりした訳では勿論無いですが、自分の感性で楽しみながら選んだ物は、本当に良いもんです。
それだけで気分が上がります。
そろそろ梅も咲き始めています。
春はもうそこまで来ています。