呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

連休も終わりです

この四日間、集中型のシリーズワークに連日色んな方にご参加頂き誠にありがとうございました。

もっと誰も来ない枠が多いかと思い込んでいましたがそんなことも無く、非常に実り多き時間の連続となりました。

僕はヨーガとか瞑想とか座禅の指導者でも実践者でもありませんからそれらの世界のことはよくは知りませんが、自分のワークショップの中では自然と「後から振り返るとあれは瞑想だったのではないか」といった状態になったり、物凄く静かな状態の中でいつもの自分とは違う視点で全体を眺めているようなことが、割りと頻繁に、しかも参加者が皆揃って起こったりします。

これからは、そんな時にはそのまんま、決められた時間まで(※誰が時間に気付くのかという問題はありますが)、その状態に居続けることもやってみたいと思っています。この事は随分と前から思い描いていましたが、今回のシリーズワークでの自分と皆さんとの経験を経て、更にその思いを強くしました。

座禅とか瞑想にもしも、上手くいかない、といった概念があるとするならば、きっとその上手くいかない原因は、姿勢を定めて視線を定めたり眼を閉じた瞬間に、制約の中、拘束の中に身を置いてしまったような、始まった瞬間から終わりが待ち遠しくなる、そんな状況になってしまうことなのではないかと想像しますがどうでしょうか(←誰に訊いてんねん)。

本当は、瞑想や座禅を出来る時間なんて、このあくせくした生き馬の眼を抜くような世の中にあって何と贅沢で自由な時間でしょう。きっとそれらに取り組むことを決心した時にはその喜びを感じている筈と思うのですが。

それで、そのように瞑想や座禅を実際に始めた途端に終わりが待ち遠しくなって雑念だらけ(※雑念だらけそのものが悪い事では無いと思いますが)になってしまう人に試してもらいたい事があります。

自分の感覚として、これなら終わりが待ち遠しくなって気が散ることもない、そんな時間を設定します。2分でも5分でも10分でも何でも良いんです。その時間だけ瞑想や座禅をやる積もりで、何か時間を知らせてくれる物を仕掛けて始めます。

それで時間が経過して時計のアラームか何かが知らせてくれたなら、そのお知らせの意味をどう受け取るか、これがこのやり方の要点です。

このアラームは、瞑想や座禅をその時点で止めなさいという命令と取るのか、それとも、約束の時間は経過したけれど、勿論これで止めてしまっても良いし、このまま引き続き気の済むまで取り組んでも良いよ、という合図と取るか、そういう事です。

これをやってみることで、そもそもが如何に自由の中に生かさせてもらっているかを感じる事が出来る、と、思います。

もしこれをお読みの方で興味のある方は一度試してみてください。そうそう、例えば何かの研修とか合宿で長期間連泊したような時に、最初の内は「早く終わらないかな」と暗い気持ちだったのが、終わりが近付いて、いよいよ帰る日になると何だか名残惜しくなって来て、帰りたくないような気分になる、そんな感じの応用だと思ってください。

畑違いの事に関してエラい大きなお世話の長い話になってしまってますが、結局経験上、僕のワークショップの最中、極自然にそのような本当の自由を味わうような、時間の感覚を忘れるような状態に、いつの間にかしょっちゅうなっている、ということなんです。

だからその状態を、これからはもっともっと大切にする時間を増やして行きたいと思いました、ということです。

このように、自分でもまた新たな発見や確認、確信が持てた事等が沢山あり、この四日間、連続ワークをやってみて本当に良かったです。

これからも色んな状況、本当に本当に色んな周囲の状況、雑音にも屈すること無く、活動を何とか維持して行けたらと思います。