呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

年内ラストの大船ワーク終了しました

もうすっかり保護犬二匹の警戒心も解けて躊躇無く体を寄せて来てくれるようになりました。この季節、犬や猫の温かさはたまりません。

初めて会った頃を思い返すと信じられないような、本当に見事な変わり様です。

この保護犬達を追い込んだのも僕らと同じ人間なので、何も偉そうなことを言えた立場ではありませんが、勝手な人間様の上から目線で言うと、成長したんだなぁという感じです。

今日の午前中はプロのバンドマンの方とご一緒で、久しぶりに本当に全身運動としても目に見えて分かり易いアクティブな呼吸を楽しませて頂きました。

歌う時や管楽器を吹く時の息継ぎに、それこそダイレクトに役に立つようなことです。

落下するような感覚を感覚だけで要求されると人は模索し迷走することもありますが、本当に落下すれば考える必要はなくなる、というものですが、だからと言って何処か高い所から飛び降りたりした訳では勿論ありません。

落下すると色んなものが手放せていて、落下すると受け止めてくれるものに出会えて、それが一体何なのかを考えている暇も無いという、物凄く簡単なワークを、楽しんで頂けて楽しかったです。

一転して午後は本当に静かなワークの積み重ねで、余りにも基本的だし世間では色んなところで流布されていて分かったような気になったとしても、本当にはなかなかその状態にはなれない代表みたいなこと、「自分を大切にする」ということを普段のワークよりも更に念入りに味わいました。

このような仕事をさせてもらっていて、それを言ってしまっては身も蓋も無くなるようなことは時折心に浮かんで来ます。

真剣になってやればやるほど、残酷とも言える真実に迫って行くような感じです。

僕は呼吸と体の繋がり、ひいては心との繋がりでもって、何かしら得なことに辿り着いたりいつの日にか辿り着けると思ってもらってナンボという立場、普通の世間の常識からするとそれが当たり前というものでしょう。

しかし、このような仕事をさせてもらっていて曖昧さがどんどん淘汰されてしまうことも宿命的に出て来てしまうものです。

スタップ細胞は本当にあるのかどうか、今どうなってるのかも不明ですが、「深い呼吸はありまーす」し、何度でも体験は可能です。

しかし、ここで珍しく医学的な見解を引用しますと、危険な状況、安心出来ない状況で人間は交感神経優位になると言われています。

危険ではなくて安全安心な状況に於いて副交感神経優位になるのですよね、確か。

色んな科学的な機器を使って調べれば、数字の上では色々なリラクゼーションが上手く行った時に、僕のワークショップだって、副交感神経優位の状態は作れていると思います。

それに適度のストレスがあるからこそ人間の進歩がありクリエイティブな面が開花することも忘れてはいけない大切な側面です。副交感神経100%(そんな状態が実際にあるのかどうかすら知りませんが)では人間はぐたっとして寝転んだまんま、何も産み出さないということです。

それでも、現行で人間と呼ばれているこの種が積み上げて行き着いてしまう社会の構造、在り方を改めて見詰め直したなら、機械なんかでは測れない数値等では示せない本当に本当の深い呼吸なんかには到底辿り着けない現実、そんなことにも突き当たってしまうものです。

本来なら適度な、でも現状多くの人は過度な、ストレスを抱えながら未来を築き進んで行くのが人間、それが文化ということならば、多くの人が抱え訴える大小の心身の不調はもう共に歩む影のような存在として快く諦め受け入れた方が良いでしょう。

もしそのように進んで行くのであれば、大小あらゆる心身の不調に対しては、治ります、などと大風呂敷を広げない方が懸命と言えます。

そんな社会の成り立ちの最中で、目立ったある一つの症状や不調が消えたかのように見えても、根本的な解決が無い限りは症状は姿形を変えてそのメッセージは何度も繰り返されることになるでしょうから。

地球が本当に穏やかで、何処へ行っても戦争や争いが無く、ある国や地域では食糧が棄てる程あるのに別のある地域では飢餓に苦しんでいるような事が一切無くなり、一人一人がその命を謳歌出来る、その時になって初めて、僕も貴方も皆さんも、本当に安心した深い呼吸になり、現代の人を悩ませる色々な不具合も本当に治った、消えて無くなった、と言えるのだと思うのですが。

そう、そんな世の中など程遠い中で、本当の意味で深く充実した呼吸を得ようなどとは虫の良過ぎる話だということです。

そのようなことを正直に伝えながら、どのような形になってもこの活動は続けてみる積もりでは居ます。

呼吸のワークで感じられ見えて来るものがあって、そのような体験を重ねている時、その肌触りは、その温度は、本当に魂の深い処が望んでいる事とは、紡ぎ出される言葉とは······。

保護犬達が見事にやって見せてくれた成長とやらを、僕達人間もやって見せることは出来るのでしょうか。