今日は早朝にメールでオンラインセッションのご要望がありました。
疲労の蓄積による足首の捻挫という診断で、仕事は勿論のこと、私生活にもかなりの支障を来しているとのことで、その流れを好転させる目的でのご依頼でした。
このようなご要望があった場合、僕は必ず前以て、個人に限定の時間とするか、オープンにして他の参加者も募るかを選んでもらいます。
ところが今日はその質問に関してご依頼人から何故か返答が無かったので必然的に個人セッションとなりました。
当然のことながら僕は治療家ではありませんので、この症状にはこの手法でとのセオリーや型は一切持ち合わせていません。
メールでのやり取りからオンラインが繋がり始めてからの導入部分を経て、雑談に見えて雑談ではない交流の中から自然と、それこそいつの間にかセッションへと、内側への対話へとフェードインしてゆきます。
足首の負傷が元とは言っても取り立てて足首そのものに何か手を加えるということはあまり無くて、今回も、掌や手の指先の感覚を元に、普段の何気ない会話なら聞き逃してしまうような言葉や呼吸の変化、勿論そうなると声の変化も伴い、体がトータルで変化しますが、それらを丁寧に丁寧に辿っていました。
そんな時間を共有する中で再び不意に、そもそもの話の始まりであった足首や、それを庇う為に使用した松葉杖の影響で重くなった肩へと意識を届けてみます。
そして更に、それを味わって口をついて出てくる何気ない発言に真摯に向き合ってみて、そうしたら、45分、1時間と、あっという間に過ぎているものです。
当然こんな簡単なことであるからこそ本当に自分を大切に扱える、そんな一時(ひととき)を過ごしてもらって、患部が確実に変化し、楽になり、動き難かった箇所が動くようになっている。
しかしそれよりも、今日感じたこの普段からは味わえない、気付くことすらままならない隙間のような感覚の在処(ありか)を、心という単純な一言では済まされないけれども確実に自身の内部の何処かに存在することを認め目覚めて、私生活へと再合流すること、それがもっともっと大事なことだと思います。
治るとは単に症状が見えなくなることではない筈ですから。