流行りのウィルス感染者数が再び増加傾向らしいですが、そらぁ当たり前やろと思います。
ところで、もう既に2週間程経った事ですが、個人的な弾き語り講座、ヴォーカル講座を立て続けに2件、持たせて頂いてました。マスクをしたままで。
それでそんな場に於いては、何となく予想はしてるもんですが、やっぱり自分も歌うことになります。
それでその通りに、やっぱり歌いました。特に片方の講座ではミニライヴさながらに何曲も。マスクをしたままで。
それで、前から多分そうだろうなぁとは思っていたことですが、マスクをしたままでも殆んど不自由なく歌えることを実感出来ました。歌う時、話す時も、唇をあんまし使っていない。ライヴの最中は何回も、しょっちゅう、敢えて唇に頼らずに体の内側の直の叫びを丸のまんま放出させる快感を味わっていることすらあります。
家に帰ってから鏡に顔を映して歌ってる時の体と顔の感覚を再現したら、「もしかしたら、いっこく堂さんはこんな感じで腹話術やってるのかな?」というのが見付かりました。あくまでも勝手な想像ですけど。
上下の唇を合わせずに「マ行」もたまに処理出来る瞬間がありました。
ところで、あんまり興味が無さ過ぎてバイアスが掛かってて、知識や情報がネジ曲がってるかも知れませんが、滑舌の改善と称して唇の運動する傾向って未だにあるのでしょうか?
滑舌って言う位だから“舌”の話かと思ってましたら唇の運動を一所懸命してませんかね。
とにかく、唇の動き以前に体が何を伝えたがっているのか、その元のところを蔑ろにして声の表面上の耳触りの良さを追及し過ぎて、心と体の方向性の齟齬を陰で進行させないように、このことにはよくよく気を付けた方が良いとは思います。
それが原因の一つと思われる突然の声の不調、医学的には原因不明、を訴える人は、プロアマ問わず後を絶ちませんから。
珍しくまともな話で面白く無いでしょう?
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······それにしても、役に立つか立たないかで全て物事を判断するこの性(サガ)にはほとほと困ったものです。
役に立たないものは存在する価値すら無いと思って、自分がそうならないように頑張る。
これでは人を役に立つか立たないかで勝手に線引きして相模原の施設を襲った男と深い根っ子の所では何ら変わらない、恐ろしい偏見の持ち主です。
クソの役にも立たないことを心から愛でることが芸術ならば、僕のこれまでやって来た活動の何と中途半端なこと。芸術家の端くれが聞いて呆れます。
はてさて本当にどうしたものか。
しかし今、言葉というものに頼って簡単に言ってしまうなら呼吸としていつもは認識し感じている体の深い所で光の卵が胎動しているのは事実です。
今はこれを、手を加えずに眺める時間が必要。それだけは、どうやら確かなようです。