呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

再掲載その20「このシリーズもここら辺で一旦ひと段落」

今回は自分でブログを読み返してみて、改めてごちゃごちゃして長くて読み難い文章(文章か?)やなぁと思いながら、結局何が伝えたかったのか、その部分を全てから抽出し、少しの解説も添えて、再掲載シリーズの一区切りとします。

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『決めた瞬間に例外が発生し、決めさえしなければ全ては想定内である』

※この文は以下↓の記事に出て来ます。

http://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2019/11/20/193720

この言葉が降りて来て以降の僕は、究極この言葉を心底体感として納得してもらえるように、唯それだけの為に活動していると言っても差し支えないと思います。

僕の発想、発言、行動、全てがこの地点から始まっていて、この言葉を僕の背後に透かし見ながら接してくださる人が現れたなら、更にワークの理解を深めてもらえるのではないかとさえ思っています。

この言葉を更に揺るがすような体験は、恥ずかしながら、現在のところ未だありません。

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「この呼吸法で育んで行く感覚は、残念ながら水泳や自転車のように、一度身に付ければどんなにブランクがあっても一生忘れない技術とは違うものです」

※この文は以下↓の記事に出て来ます。

http://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2019/11/22/095359

これを書いた当時、言葉によるワークへの熱意とは裏腹に、実際に共に体を動かし感じ味わう時間が減っている方々のことが気になっていました(それは今も常にです)。

特有の体の硬さをお持ちのこれらの方々と接していると、硬さにもしっかりプライドがあるのかと感じます。

中には“この呼吸法を活かして歌を習うことに専念します”というようなメッセージを残し去って行く方もいました。

唯歌うことに専念する、なら理解もし応援も出来たのでしょうが、習わないと歌えないと思ってるなら、それは、僕とのセッションが空砲であったことを意味します。

そういう方々に向けて、色々な事情で仕方のない事であるし、どのように歩むかは自由ですが、もしここでのワークに意義や意味を感じておられたのだとしたら、肝心の要点には全く触れられていないか若しくは、知らず知らずの内に遠退いていますよ、ということが伝えたかったのです。

http://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2020/01/10/221111

↑この記事も実はそれに関連した内容です。

こんなものを書くことは、非常に辛いことです。出来ればもうこんな内容は書きたくないと思います。

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体に必要な栄養素を“要領よく”そして“無駄なく”摂取する為にサプリメントを活用することで、どれだけ化学という粗い網の目から本来の栄養を取りこぼしているのでしょう?

※この文は以下は↓の記事に出て来ます。

http://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2020/01/01/023003

持ち運びし易い便利なサイズ、短く的確に伝わる言葉、ぴったりなネーミング、それらがカットしてしまうものを愁い書いたものです。

例えば身の周りにあるもの何でも、木や花や空、宇宙、自分······その他名前の既に付いているもの何でも、それらの名前を口にして、その名前で呼んだ瞬間に、それは本来の木そのものではなく、自分が知っているところの木でしか最早なくなってしまう、ということが伝えたかったんです。

しかもその木のことを木と呼んでいる自分が、自分のことを一番分かってなかったりもして、ややこしいですけど、呼称することによる対象の矮小化に警鐘を(早口言葉か?)鳴らす、そんなお節介極まりない長い永い呟きです。

そしてこのことは、次に挙げる記事へと繋がってゆきます⏬

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呼吸······※僕の文章や言葉の中にこの二文字が出て来た時はいつも「特にこの二文字で今ここに言い表そうとしている営み全てが凝縮されていて的確であるとも全く思ってはいないけれど、歴史的に見て余りにも一般常識化され動かし難い定着度と安定感を得てしまっていることと、ここ最近に至るまでその現状に少しも気付くこと無くその弊害に何の疑いもなく安易に便乗し便利にこの言葉を使い続けて来てしまった自分自身の反省点も分かってはいながら、その経緯の説明に時間を盗られる余りに瞬時に浮かぶ新鮮な感覚を取りこぼさない為に敢えて簡潔にあくまでも仕方なく使っているところの“呼吸”」って思って読んだり聞いたりしてください······

※この文は以下↓の記事に出て来ます。

http://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2020/01/12/135923

 

本当の意味で自分の中にある呼吸と呼ばれているものに出会い気付き感じられた時、それはその尊い営みに呼吸などという名前が付けられるずっとずっと前の気の遠くなるような昔、地球に生命が誕生した瞬間と確かに今繋がっていることを否応なしに思い出す瞬間でもあります。

※更にこの文は以下↓の記事に出て来ます。

http://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2020/02/02/232312

 

名前は便利な記号であると同時に呪縛でもある。

身の周りにある名前のあるヒト・モノ全てを、名前を消して感じてみてください。

僕は先ず、自分の中に宿る“呼吸”を対象にそれをやりました。

これをお読みの皆さんも、ちょっと今、やってみてください。

「·································」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

·································どうですか。

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