呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

💪火事場の馬鹿力💪(←この力こぶネッシーに見える👀)

花粉症の症状が出ません。

以前このブログで体調不良をきっかけに食生活を一新したことを書きました。

それが花粉症にも好影響を与えているのだと考えていましたが、ある方がTwitterで、深刻さの優先順位のような雑感を呟かれているのを読み、なるほど!と考えを新たにし、それをきっかけに、最近芽生え始めていた怪し気な感覚が文章になりそうです。

新型コロナウイルス·COVID-19のことが、やっぱり意識の相当深いところにまで影を落としているのだなと感じます。

そうなんです、花粉症どころじゃなくなってるんですね、心身が。実際僕だけではなく、この春は花粉症の症状が出ない人が増えているようです。

その呟かれていた方は極端な喩えを用いて、もし今巨大隕石が地球に衝突する可能性が持ち上がったとしたら、新型コロナの症状発症は激減するだろうとの予測を述べておられましたが、僕もこのような考え方をするタイプなので、納得しながら目を通したのです。

僕はこんな時にほんのつい最近、ホントに数日前ですが、超個人的な未熟さから、人間関係に於いてかなり痛手を負うような経験をしてしまいました。

その時は本当にガックリ来て、「だいぶ免疫力落ちたなぁ、キツイな」と思ったものの、後から徐々に、こんな大変な思い、悲しい思いに比べたら、「ウィルスぐらいなんじゃ!」と逆に体の中から物凄い熱量が沸き上がる感覚もあり、綺麗なパンチをもらって一旦はダウンを喫するも、ニヤっと不敵な笑みを浮かべて立ち上がり逆転勝利に持ち込むボクサーのような感覚も目覚めました。

現に花粉症だけではなく、今季は通常のインフルエンザも猛威を振るうことはなく、これはコロナ予防の意識の高さに付随した因果関係のはっきりしたものとも言えますが、僕は単純にそれだけでは無いとも思っています。

戦争が起きるとその地域や国にはうつ病が無くなるとの話も一説にはあります。

ここから更に更に独自の感覚で飛躍して、ちょっと批判覚悟で書きますね。

頭の中だけで完結するような世界観、時代の趨勢が明らかに今そっちへ向かっているのだとしたら、体に意識を戻す劇薬を、生物として生物らしく生を全うしたいという人間の本能が求めているとも考えてしまうのです。

今回のウィルスは当初から一部では囁かれていたように人為的に操作されたものであるとの見解が再燃して来ましたので、純粋な自然界からの突然変異ではない可能性もあります。

それを考慮に入れても、否、テロや軍事的戦略の一環として一部の人が産み出してしまったものだとしたら尚更、今一度カラダを持った精神的な存在としての人間を取り戻す劇薬であると、新型ウィルスについて考えてしまう自分が居ます。

危険を顧みずエベレスト等への登頂を目指す人や、その他正気の沙汰とは思えないような冒険を好んでやる人が居て、それら以外にかなりネガティブな反応としては自傷行為が止められない人も今の世の中にはたくさん居ます。

命を確かめずには居られない衝動。

但し、それが健全な形であれ不健全な形であれ、はっきりとこの命を確かめずには居られない衝動を表現し得ている人は圧倒的に少数だと言えるでしょう。

生きていること、授かった命を全うすること、残された時間を大事に使うこと、これらの大切さをいつも心の何処かに感じることが出来ているならば、そのような世の中ならば、劇薬は必要ではなく、自然も人も、そんなものは産み出さないと思っています。

更に批判覚悟のアクセルを踏み込んで続けます。

約10年前、放射性物質の拡散で、毎日が暗かったのを思い出しています。この問題は決して収束などしていないし、今後もずっと続くであろう、これも地球規模の大問題です。問題発生当初SNS上に見られたやり取りやそれに関連する積極的な行動、あの時、実はそれが生き甲斐となったように“大活躍”していた方が沢山居たと思います。

それで、問題が問題なだけに、そのスパンもかなり長かったですが、一部の人を除いて段々と熱が冷め、喉元過ぎれば······状態になった方もそれはそれは大勢いらっしゃると思います。

勿論このように熱が冷めて忘れることもある意味人間が心身の健康を担保するための大切な本能だと分かっては居ます。

しかし、僕達の中にあの事態を、“放射能ブーム”、そんな状態で騒いでいただけだった部分が少しでもあるとするなら、この辺りですよ、批判覚悟の部分は、問題の当事者という位置から遠い程、どんなに深刻な大問題でもその熱は一過性の感が否めなくなります。

繰り返します、このような深刻極まりない大問題は本当は決して一過性なんかである訳がなく、この瞬間たった今もそれで直に苦しみ痛みを感じながら精一杯生きている方が大勢いらっしゃいます。

それでも社会全体として、その事を契機にどれだけ命の捉え方に変化があり、次の世代に活かされているかと考えた時、自省や自戒の念も込めて批判覚悟で放射能ブーム等と言ってしまう自分は確かに居るのです。

それで今回のコロナ騒ぎです。

これは局地的な被災ではなく、支援が来るのを待つことも叶わない、歴史的には前例があったとしても、今この世に生きている人にとっては正に未曾有の事態です。

それでもきっと、これで人類が全滅することは無いのではないかと現時点では予測する訳ですが、その時残った人々が、この事態の最中でしか絶対に思いが及ばないような事にどれだけ気付き向き合い、言葉にし行動に移せるか、その深さいかんによっては、“空前のコロナブーム”で終わってしまう恐れも多分にあると、思い切って書いちゃいました。

書くのしんどいですよ、こんなこと。

そりゃそうです、それじゃあ、太平洋戦争も戦後もベトナム同時多発テロも何もかもブームだったって言えるのか!って当事者中の当事者に面と向かって言われたら、そら、そう簡単には声にはならないですよ。

そんなことは、分かってて、それでも今の自分が生きている世の中を見たら、こんな事でもしっかり書いとかなきゃって思ったんです。

火事場の馬鹿力で、強くしなやかに、これ迄は気付かなかった、否、気付けなかった人間の底力に目覚め、それをブームで終わらせること無く、人間のスタンダードに昇華させなければならないと感じているのです。
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