呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

🎥大島渚監督とWワーク🎬

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 大学を出て1年程働いて、ほんの短い期間、2ヶ月位でしたかね、今から思うとちょっと引きこもり状態を経て(当時は引きこもりという言葉があったかなぁ?)、ある日フッと意を決してむっくりと起き上がりノコノコと東京へやって来た27~28年前、降り立った東京駅の大きなコンコースを和服姿の大島渚監督が向こうから歩いて来るのを見て、「やっぱり東京やぁ~、凄いなぁ~!」と実感したのを今でもたまに思い出します。

 子供の頃、大島監督と言えば『愛のコリーダ』という作品に関する裁判で争っているイメージしか無かったですが、ある時期から物凄く頻繁にテレビのバラエティー番組に出るようになりました。これは『朝まで生テレビ』のもっとずっと前の話ですよ。

 それから暫くしてあの、『戦場のメリークリスマス』を発表されるのですが、この作品の評で何方かは忘れてしまったのですが、「こんな素晴らしい作品を創るために、大島監督はあんなバラエティーのくだらない番組にも沢山出られて、莫大な撮影費を蓄えておられたのですね」というような内容を書いておられたのを何処かで読みました。

 名声を利用して、本業の映画監督としてちょっとした作品で繋ぎながら、本腰入れた次回作の資金を稼ぐことも出来たかも知れない。でも、映画監督として小銭稼ぎの不本意な作品で自分に嘘をつくことはせずに、全然畑違いの場でバカの振りをして、ホントにバカだったのかも知れませんが、サーカスのクラウンのような役割も演じて、そうしておいて満を持して心の底から本当に撮りたかった映画を本当に頼みたかったキャストで撮り切る、そこに賭けた監督の生きざまと作品への賛辞がその文章からは溢れていました。

 Wワーク。例えば新聞や週刊誌などを作っている方々、ニュースが無い時は無理にニュースを作らなくても良いですよ。ニュースが無い時は、デスクも記者さんもカメラマンさんもみんな、出来れば皆さん、Wワークで食い扶持を繋いだらどうでしょう。気分転換にもなって丁度いいと思います。ニュースにかこつけてどぶ板の下からゴミだかガラクタだか分からないようなどうでも良い話題を探してきて値札(見出し)を付けて並べて、さも生活に必要なもののように見せ掛けて売るのはやめましょう。

 もう今更遅いですが、SONYウォークマンという持ち歩ける位に小さな音楽再生機を作る技術を持ち得たのは素晴らしい。「我々はこんなにコンパクトな機械を作ろうと思えばいつでも作れる技術を持っています」とアピールし、その技術を応用して世の中に“本当に役立つもの”を熟考して産み出すのが大企業の役割だと思うのですが。その技術をまるで下利便のようにダダ漏れさせても、本来ならそんなもん「そのまんまやないかい!」とツッコまれておしまいの筈なんです。「こんな新しいライフスタイルは如何?」「歩きながらでも手軽に音楽が聞けますよ」と、思い付いたもん勝ちで儲け最優先で提案しなくても良かったです。そんな商売は育ちの悪い人のやることで、公共の場を歩くときは、その人一人々々の健康状態から見て健常に働かせられる感覚を外界に向かって常にONにしておく責任があって(健常者がそうすることで、色々な感覚器官に障害を持つ方々が多少なりとも街を歩きやすくなる)、無神経ではない状態を出来る限りお互いに保つことが大切ですよと、大企業なら尚更、そのような本当に大切なことが伝わる製品を作ってもらいたい(もらいたかった)→他に良いアイデアも思い付かない位ポンコツ企業なら大人しくしといてもらいたかった。どうぞWワークを。

 マクドナルドは、今更遅いですが、カップに蓋を付けてストローを突き刺せば歩きながらでも手軽に飲み物が飲めることを提案しなくても良かったです。人間の運動能力からして、やろうと思えばそれ位のことは簡単にやれるとは分かっていても、それをやることで失われる大切な何かに思いが及んで、モラルとかマナーとか何もかもが堰を切ったように崩れてしまうことには手を出さない、これを、大企業を名乗るならそのようなメッセージが伝わる飲食の方法を伝えてもらいたい(もらいたかった)→他に良いアイデアも思い付かない位ポンコツ企業なら大人しくしといてもらいたかった。Wワークをどうぞ。

 こうした大企業様方のご提案になった社会·世の中は、まぁなんとお行儀の良いことでしょう(笑)

 映画『猿の惑星』では、決して立ち入ってはいけない禁断の場所として、人間が作った都市の残骸を遠くから眺めるシーンがほんの短いカットで描かれているのが印象的です。

 僕はと言うと、今のところ自分一人食べてゆければ良いのであくせくしない分まだいいんですが、そもそも残念ながら潰しが利かない。手に職も何にも無いしジャーナリストさん達のように学も無い。急にテレビタレントにもなれない(笑)だからいくら生活が困窮していても今直ぐには丁度良いWワークは見付からないかも知れません、やろうとしても。

 本当に作りたい物を、本当に伝えたい事を、ブレずに正直に隅々にまで真心をこめて、ハイクオリティーで届ける為に決して妥協はしない。

 例えば今の僕の役割で言いますと、繰り返しワークショップに来てもらいたいが為に然るべきタイミングで正直な意見が言えなくなったり、また逆に、言葉にして伝えるタイミングでもないのに、如何にも貴方の為に助言してますよ、ちゃんと働いてますよ感を出す為に時期を選ばずにくだらないアドバイス擬きを差し挟んだりとか、本末転倒な企画に首を突っ込んだりとか。幸いなことに今のところそんな展開にはなってはいません。

 つい先日、最近コーラスを始めて、先生が教えるのが上手で直ぐに上達したと言いながら、恐らくコーラスや声楽といった範疇で括ると決して美しいとは言えない声を張り上げる方と残念なことに知り合ってしまいましたが、先生も生活がかかってるでしょうから、そら誉めるでしょう、また適度にアドバイスもして、その人が辞めてしまわないような匙加減を優先するでしょう······。

 で、僕はそんな匙は持たずに今のところワークショップに臨めているということです。長々と駄論を進めて来て、そんな匙や世辞を使って活動本来の純度を落とす位なら、禄を食む術をいっそのこと他に求めましょうと、それが言いたいのです(あっ、3~4行で言えちゃったなぁ)。

 こんな僕でも月の変わり目にはスケジュール更新のお知らせをメールでお送りさせて頂いてます。タイミングはめちゃくちゃですけど。しかしその人数はどんどん減って来まして今は片手で充分数えられる程です。なんか嫌なんですよね、もう心が離れてしまっているかも分からない人達に一方的にメールするのが、性に合わないです。心が緊張します、そんな作業は。何せ対話がない、やり取りがない。そんなんが平気な人の呼吸のワークを皆さんは受けたいですか?どうでしょう?

 そこを妥協してワークショップの質を落とすくらいなら、その時は、大島監督のようにWワークした方が良いと、たった其れだけが言いたくてこの長い文章、ね、こんな変な男がやってるワークショップなんですよ、良くも悪くも。 

 しかもこれ、書き始めはもう二週間以上も前でして、周りの人のコロナへの反応に憤って一度止まって、それ以外にもがっかりすること、心に期することが細々と幾つかありまして、それで再開したら書くわ書くわ、その長いの長くないのって、実はこの倍以上の文章量に一旦はなってました。

 でもその書き足した部分の殆どは、「これを公に書かなくてはならなくなった時は、本当に今の看板を下ろして一人で旅に出る時」といった内容でしたので、消去し、現時点ではお蔵入りにしました。

 これからの活動で、そんな内容なんかすっかり忘れられれば、それが一番幸せで良いことだと思いますが、果たしてどうなりますことやら。

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↓Wワークといえばこんな人達も
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