年を越してから放置状態でした。
昨年末は呼吸のことを長文で畳み掛けるように真面目に記述して、ちょっと間が空いて続きを書こうと思って一連の記事を全部読み返したらお腹一杯になって。
24日の日曜日にオンラインワークショップをやった際に参加者のお一人から、ブログの記事が参考になって、ワークショップと相まって感覚の進歩があったというお話を頂きました。
これまでそういった具体的な感想や意見や反応の類はまあ殆んど皆無で、一人がむしゃらに書き連ねていたようなもんでしたから、それで、このような駄文雑文でも感覚レベルで読んでくださっている方が居るのだと目が覚めたような感じで、久しぶりにポチポチと打ち込んでいます。
感想を頂けるのはありがたい、改めてそう感じさせてもらえました。
心より感謝致します。
この間それ以外では、とっくにお払い箱状態だった声優さん中心の芸能事務所の急遽穴埋めレッスンにも行きました。
このような場では少数のレッスン生の方が世に出る為に、他よりも少しでも抜きん出る為に、真剣で熱心な質問を投げ掛けてくれます。
きっとこれ迄に、それはそれは色んな先生や先生と呼ばれている人や親切な先輩やテキスト等々から溢れるような情報を得て中には溺れそうになっている人も居るのだと思われます。
なのでこちらが投げ掛けるワークも、それら既知の情報を元に吟味し“果たして合ってるかどうか確かめる”作業となってしまってるようでした。
でも、本当に頭の良い人は、この時点で明らかに情報を得る順序が違っていることに気付きます。
生きている体があって、それは呼吸をしていて、そこを蔑ろにしていては、実のところその上には何一つ乗っからない。
そう、先に例えば僕が紹介しているような内容を人生のもう少し早い段階で理解させてもらえる機会に恵まれていたならば、自然に辿り着ける答があり、自分で迷わず見付けられて、そして不必要な情報を即座に取捨選択出来る。
僕はこのように商業色の強い集まりへ招かれた時には特にはっきりと伝える事がありまして。
もしも今現在色んな形態の電波に乗って聞こえてくる音声が、ここまで述べて来たように“大切なものの上に乗っかってない”のが主流になっていて、そう、情報の順序が逆、というよりもそもそも土台となる重要事項がごそっと抜け落ちた状態でも成り立つ世界、そのような音声がジャンクフードのように、本来の人間が内包している魂の輝きとでも言えるものを曇らせながら全く別の快感や嗜好性に訴え掛けて来ていて、それを成功と呼ぶのだとしたら、あくまでも仮説、成功と呼ぶの “だとしたら” ですが、僕が今説明していることは身に付けない方が良いですよ、という注釈を加えることにしているのです。
違う。
いつもレッスンの途中でそういった注釈を加えることになってしまうのです。
プロの厳しい世界。
声そのものにも容赦なく○ や × を付けられる世界。
その人の心身の状態が今この瞬間一つの結果として表れたのが声。
そこにはその人やその人に纏わる色んな歴史も刻まれています。家族や親戚や先祖や今まで縁の深かった人。それらを経巡って終局的には僕やその他全ての人やものも含まれる、なのですが、ここまで行ってしまうと余りにも突飛でリアリティーを感じられなくなるようでしたら責めてご先祖様辺り迄で。
それでそう、声に○ や × を付けるとは、そういう関連した諸々の事全てに評価を下しているのを忘れないでもらいたいというのが、僕がこのように呼吸や声に携わるようになってからの変わらぬ強い思いです。
感覚を開いて透き通るように何処までも届くような声を育てるのは容易でないことが多いですが、自信を失わせてそれまで普通に出せていた声までをも奪ってしまうのは意外にも簡単なことのようですから、よくよく気を付けなければなりません。
スポーツの世界ではイップスと言いますね。
何処からこんな話になったのでしょう。
そう、最初はこんなブログにも感想を頂けるとありがたい、という話でした。
さあこれで再び書くモードに入れましたので、良かったです。
壁当てになるか、キャッチボールになるか、感想でも、ワークショップへの参加でも、いつも何処でも常にお待ちしております。
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