呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

代わり

少し前に更新させて頂きました記事の舌の根も乾かぬ内に、打ち込んだ指先の微かな汗も乾かぬ内に、否、これだけ時間も経ちましたのでその時の指先の微かな汗は流石にもうとっくに乾いてますが、土曜日が空いていることに気が付きましたのでSkypeによるオンラインワークを準備させて頂きます。

大体10:30頃からを目処に、ご指定頂ければ終わりは何時でも結構です。
参加費は前回と同じ大サービス価格で90分:¥1,000-、延長される場合は¥1,500-でお願い致します。

脅かす訳ではありませんが、ボタンの掛け違いも甚だしい世の中絶賛継続中に付き、このような価格でいつまで活動して行けるかも分かりません。

是非とも今の内に、他には無いこの独特な導きで呼吸の素晴らしさを体感して頂けますように、この機会を逃されませんように、多くの方のご参加を心よりお待ち申し上げます。
ご利用頂ける場合は前以てご希望の時間帯をお知らせ頂けると助かります。
追ってSkypeのURLをお知らせします。

何方か来て頂けますと嬉しさで落涙若しくは号泣するかも知れません。その姿もどうかSkypeで見てやってください。

皆様どうぞ宜しくお願い致します。

↓お申し込みはHP内メールアドレスから↓

https://tonus-mn.jimdofree.com/

2/7(日)のこと

最近は大体隔週の日曜日にオンラインワークショップを開かせてもらってますが、2/7(日)はお休みです。

この日は午前中に対話師·山内ちえこさんのZoomお話会にお誘い頂き、更にたまたま同日午後には僕が今も唯一継続して学び続けている心理療法であるフォーカシングの会がこれまたZoomにて行われる為、両方参加することにしました。

ちえこさんの会もフォーカシングも、物凄く久しぶりの参加です。

ということで、僕のワークショップはまた翌週以降ということになります。

いつも楽しみにしてくださっている皆様、誠に申し訳ございませんが、どうかご理解の程、宜しくお願い申し上げます。

尚、ZoomもしくはSkypeによる個人セッションのお問い合わせ·お申し込みは常時受け付けております。

↓こちらのHPからメールでお願いします↓

https://tonus-mn.jimdofree.com/

昨日は広島&福岡デー

先ずはじめに、昨日参加してくださった広島と福岡の皆様、誠にありがとうございました。

前日夜のブログでの宣言通りかそれ以上のインパクトで色々な気付き発見を持たせて頂きました。

心より感謝申し上げます。

昨日の皆さんの集中は、またまたたくさんの言葉を、僕の心身をバイパスとして、この皆が生きている世界に送り出させてくれたのです。

なんか凄いこといっぱい言ってたなぁー。

はっきり覚えてることも、なんだかおぼろげなものも、とにかくいっぱい大事なことを言ってたと思います。

それで、この半月程の期間が、このようなワークショップも含めて、新たに学ぶこと体験することの意味を改めて考える契機にもなりました。

くだけた言い方にすると、本気でドキドキワクワクが好きかどうかという話です。

知識の詰め込みは皮肉にもそのドキドキワクワクを回避する作業ともなります。

ドキドキワクワクは快100%であれば結構なことですが、スパイスのように少量の恐怖感も含まれているものです。

脇目も振らずにたった一つのことに集中することは、学びの深度が進むにつれてドキドキワクワクに出逢うペースは段々と緩やかにはなって来ますが、その代わり心の赴くままに無理無く続けていれば、時期が来ると必ず真新しい新鮮さを伴った本当に未知のドキドキワクワクへと導いてくれるものです。

ところが、色んな関連性のある学びに範囲を拡げていくことは、一方で得たことが他方に取っての予備知識となり、情報としては相乗効果ということになり、好ましい方向性を示すことにはなるのですが、しかし一方でその裏に含まれている、ドキドキワクワクの中の未知の世界に出逢う恐怖心を排除する心理が勝っているならば、本当の学びとはなっていないことに、充分気を付けなければならないと感じています。

特に人間の心と体に深く携わることを学ぶのであれば、いつどんな時でも素の自分、丸腰の状態で新たな場に臨む覚悟、そのシチュエーションを楽しむ以外に本当の道は無いのではないかとさえ思います。

今この瞬間に縁あって出逢った新しく素晴らしい感覚を、似たタイプの予備知識が吸着し絡め取って心の動きを自我の都合に合わせて表面上の整理整頓をしてしまう。

感動と動揺の見分けが付かなくなって、感動までも恐怖のカテゴリーに分類してしまう。

これでは本当の心の学びにはなりません。

いつまでも感動を忘れずに、ドキドキワクワクすることが、唯一の学び、人と深く関わり発信して行ける学びなのではないでしょうか。

なので、昨日集まってくださった皆さんの頭の中を真っ白にして取り組んでくださった在り方がとても心身に染み入ったのです。

なのでもう一度言わせてください。

ありがとうございます。

明日は広島&福岡デー

最近はワークのスケジュールをアップすらしてませんが、明日1/30(土)は広島&福岡の皆さんとのオンラインワークを行わせて頂きます。

前回は、いつもいつも何と御礼を申し上げて良いか分からない程お世話になりっぱなしの広島声の文化普及協会文字通りの世話人和田さんの大英断で広島現地ワーク開催となりましたが、現状 “ 禍 ” の再拡大ということで、オンライン復活です。

昨年オンラインワークが主流となってから何度か繰り返し述べている事かとは思いますが、このような状況下でも繋がりを大切に集ってくださる方々がもたらしてくれる場への愛着·集中のお陰で、僕の内面の深い処への繋がりも信じられない位に充実させて頂けることが本当に多くなりました。

そんな時に僕の口から出る言葉の数々は、紛れもなく僕個人の思い付きなんかでは無く、本質的な処から湧き上がって来る、もしくは降りて来るものであることが俄然多くなっています。

「今、めちゃくちゃ大事なこと、良いこと言ってんなぁ」

まるで他人事のように自我が感心しながら囁くこともありますし、時には余りにも本質的過ぎて、ワーク後には言ったことすら覚えてないというパターンもあります。

それで、これは、何の根拠も無い予感ですが、確信出来ている事が一つあります。

それは、明日もめちゃくちゃ良いことをいっぱい言うだろう、ということです。

広島&福岡の皆さん、どうか楽しみにしていてください。どうぞ宜しくお願い致します。

明日も充実のひとときを楽しみましょう。

大真面目だからこそのレッスンが孕むどうしても避けられない矛盾

今は極力、意識してワークショップという言い方をしています。

以前、法人でやっていた頃は特に何も考えずにレッスンと言ってました。

やってることは変わらないと言えば変わらないかも知れませんが、今の方がより場を通してお互いに気付きや学びを深めている自覚があり、こちらが一方的に何かを教えている感じは全くないので、レッスンという呼び名がしっくり来ないということです。

法人の頃からそうだったように、表現に昇華する為に呼吸を改めて捉え直すことを目的とした集まりがこの呼吸のワークショップの大事な一面です。

それで一人で歩み始めた時、呼吸が切り替わることに焦点を当てることを重要視しましたのでブログのタイトルがそのようになった次第です。

昨年末に掛けて長文で説明しまくっていたのは切り替わってない方の呼吸、つまり、積極的に何かを表現するには相応しくない方の、ただ単純に生命を維持し、言わば保守的に健康な肉体(には健全な精神も宿る)を保ってゆく為の普通の呼吸の話でした。

それで、勿論その切り替わってない方の呼吸をレッスンの時間内ずっとやり続けたって良いんです。

寧ろ本当に厳密に表現へと辿り着きたいならば、そのような普通の呼吸の充実、つまり、本当に本当の意味で自分を癒し大切にしてあげられて初めて他への働き掛けが成立する、という唯一の道を歩むのが王道だと確信するものです。

けれども、そんな頑固で意固地なことを主張するばかりが良いことでは無くて、単純に、話している人と話を聞いている人とでは呼吸が逆だと考えてもらえればそれはそれで話も早くて良いのです。

呼吸が逆とはどのように逆なのかはまた別の記事にて詳しく書かせて頂きますが、これを元に考えると、表現のレッスンに如何に歪みが生じるかは簡単に説明出来てしまいます。

表現の為のレッスンに集って来られる方はどうすれば滞りなく素直な表現が出来るようになるかを“聞きに来ている”のです。

↑この矛盾にお気付きでしょうか。

レッスンの集まりの中で、その場に於ける純粋な表現者は唯一講師、インストラクター、先生、指導者、といった立場の人です。

その立場の人が、表現を身に付けたいと思って実はお話を“聞きに来ている”人に対して、今仮に何か表現する立場になったとしたらという、あくまでも仮定で知識と技術を疑似体験してもらうというのがレッスンの厳密なる正体です。

なので、特に法人の頃には、如何にもレッスンらしい形を成す為という意味合いでも仕方なく切り替わった方の呼吸をレクチャーしながらも、「これを今日の皆さんが上手く出来ることが果たして皆さんの将来に取って本当に良いことなのかどうかは分からない」という思いで、時には本当にそのように口頭で伝えながらワークをやっていました。

これは、ちょっと神経質過ぎる話ではありますが、シビアにシビアにレッスンというものを整理すると、実はこんなおかしな矛盾を孕んでいるのが理解されます。

それでは本当は一体何が大切な事なのか。

例えばこんなお話で今回の記事を終わらせてゆきたいと思います。

仰向けに寝転んで、お腹、下腹部辺りに手を置いたり、辞書のような分厚い本を置いたりして、息を吸い込んだ時にそれらが持ち上がるのを観察し実感しながら呼吸する。慣れて来たらなるべく細く長く息を吐いてゆく。その体と息の使い方で発声してみる。それを体に良く記憶させて立った状態で応用する。これが発声の基本。

これは、息を吸えば吸う程に膨張感·緊張感が高まり、つまりお腹周りがパッツンパッツンの状態となり、息を吐く時にはそれを解放することを最も体が欲する状態となってしまいます。

膨張の折り返しでひたすら弛んで萎む方向にエネルギーは推移するのが自然な状態です。

これは、切り替わってない方の呼吸の、しかも効率の悪いバージョンを繰り返し体に強いているだけの状態とも言えます。

弛んで萎むエネルギーには表現は乗りません、残念ながら。

なので、どんなレッスンをすれば良いのかというと、先ずは、自然に切り替わる呼吸の邪魔をするような余計な情報を与えないことです(←何をすれば良いのかの答にはなってないけど)。

それで、レッスンの場に於ける唯一の純粋な表現者である講師の話を聞いている時の呼吸と、幸運にも何か質問がしたくなって、勇気を持って質問した時の呼吸のパターンが180度逆であることが認識出来たならば、それはそれは素晴らしい経験を得たことになります。

レッスンが終わって、率直な意見や感想を述べることが出来たのなら、その時の呼吸も、話を聞いている時の呼吸とは違う、切り替わった方の呼吸であるので、それを確かめ味わうことは、「今実際に舞台に立っている積もりで、これから説明するような体の使い方で呼吸してみてください」等と促されてそれらしい事をやるよりも、計り知れない程の価値があるでしょう。

仮にやってみることなんて上手く出来ない方が、純粋な表現の為にはよっぽど良いことではないでしょうか。

表現のレッスンというのがもし本当に成立するのだとしたら、それは、呼吸が切り替わるのを如何に邪魔しないかということを伝えること、言い替えると、それを邪魔するような誤った情報を、レッスン時間の穴埋め、暇潰しにむやみに伝えまくらないことだと思います。

この話は、手厳し過ぎますか。

何日ぶり💨ですか⁉️

年を越してから放置状態でした。

昨年末は呼吸のことを長文で畳み掛けるように真面目に記述して、ちょっと間が空いて続きを書こうと思って一連の記事を全部読み返したらお腹一杯になって。

24日の日曜日にオンラインワークショップをやった際に参加者のお一人から、ブログの記事が参考になって、ワークショップと相まって感覚の進歩があったというお話を頂きました。

これまでそういった具体的な感想や意見や反応の類はまあ殆んど皆無で、一人がむしゃらに書き連ねていたようなもんでしたから、それで、このような駄文雑文でも感覚レベルで読んでくださっている方が居るのだと目が覚めたような感じで、久しぶりにポチポチと打ち込んでいます。

感想を頂けるのはありがたい、改めてそう感じさせてもらえました。

心より感謝致します。

この間それ以外では、とっくにお払い箱状態だった声優さん中心の芸能事務所の急遽穴埋めレッスンにも行きました。

このような場では少数のレッスン生の方が世に出る為に、他よりも少しでも抜きん出る為に、真剣で熱心な質問を投げ掛けてくれます。

きっとこれ迄に、それはそれは色んな先生や先生と呼ばれている人や親切な先輩やテキスト等々から溢れるような情報を得て中には溺れそうになっている人も居るのだと思われます。

なのでこちらが投げ掛けるワークも、それら既知の情報を元に吟味し“果たして合ってるかどうか確かめる”作業となってしまってるようでした。

でも、本当に頭の良い人は、この時点で明らかに情報を得る順序が違っていることに気付きます。

生きている体があって、それは呼吸をしていて、そこを蔑ろにしていては、実のところその上には何一つ乗っからない。

そう、先に例えば僕が紹介しているような内容を人生のもう少し早い段階で理解させてもらえる機会に恵まれていたならば、自然に辿り着ける答があり、自分で迷わず見付けられて、そして不必要な情報を即座に取捨選択出来る。

僕はこのように商業色の強い集まりへ招かれた時には特にはっきりと伝える事がありまして。

もしも今現在色んな形態の電波に乗って聞こえてくる音声が、ここまで述べて来たように“大切なものの上に乗っかってない”のが主流になっていて、そう、情報の順序が逆、というよりもそもそも土台となる重要事項がごそっと抜け落ちた状態でも成り立つ世界、そのような音声がジャンクフードのように、本来の人間が内包している魂の輝きとでも言えるものを曇らせながら全く別の快感や嗜好性に訴え掛けて来ていて、それを成功と呼ぶのだとしたら、あくまでも仮説、成功と呼ぶの “だとしたら” ですが、僕が今説明していることは身に付けない方が良いですよ、という注釈を加えることにしているのです。

違う。

いつもレッスンの途中でそういった注釈を加えることになってしまうのです。

プロの厳しい世界。

声そのものにも容赦なく○ や × を付けられる世界。

その人の心身の状態が今この瞬間一つの結果として表れたのが声。

そこにはその人やその人に纏わる色んな歴史も刻まれています。家族や親戚や先祖や今まで縁の深かった人。それらを経巡って終局的には僕やその他全ての人やものも含まれる、なのですが、ここまで行ってしまうと余りにも突飛でリアリティーを感じられなくなるようでしたら責めてご先祖様辺り迄で。

それでそう、声に○ や × を付けるとは、そういう関連した諸々の事全てに評価を下しているのを忘れないでもらいたいというのが、僕がこのように呼吸や声に携わるようになってからの変わらぬ強い思いです。

感覚を開いて透き通るように何処までも届くような声を育てるのは容易でないことが多いですが、自信を失わせてそれまで普通に出せていた声までをも奪ってしまうのは意外にも簡単なことのようですから、よくよく気を付けなければなりません。

スポーツの世界ではイップスと言いますね。

何処からこんな話になったのでしょう。

そう、最初はこんなブログにも感想を頂けるとありがたい、という話でした。

さあこれで再び書くモードに入れましたので、良かったです。

壁当てになるか、キャッチボールになるか、感想でも、ワークショップへの参加でも、いつも何処でも常にお待ちしております。

↓世の中にはこんな便利なものがあります↓

https://tonus-mn.jimdofree.com/

年賀状のこと

例年、年賀状をデザインするのが楽しみの一つです。

しかし昨年末は少し気持ちが乗らない感じで過ごして居ましたら、いよいよ取り掛かろうとした時に、2020年に頂いた年賀状が決まった保管場所に無くて、何処を探しても見付からない事態となりました。

毎年々々おんなじ決まった場所に置いていて、触ったり移動した記憶も全く無くて。

久しぶりですね、小学生時代に一、二度ありましたかね、来た人にだけお出しするやり方、今年はそれに決めました。

それで、もう松の内も過ぎましたので普通の官製ハガキで先ほどやっと投函させて頂きました。

何人かの方とは明日1/10(日)のオンラインワークショップで先にお会いするでしょうし、明後日1/11(月)の大船ワークショップにてお会いするかも知れませんが、どうかご了承願いたいと思います。

返信させて頂いたハガキにはその心境がシンプルにしたためられています。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

本当にもうこの活動を止めようと思った瞬間は何度も訪れていました。

コロナ騒ぎの始め頃には度々ぼやき嘆きの記事を書いていましたように、この活動に携わってくれていた半数近くかそれ以上の方々から、この状況下では全く頼りにならない代物ですよとこの呼吸のワークに関して態度によるメッセージを頂いて、本当に申し訳ない気持ちで心がいっぱいいっぱいになりながらの毎日でした。

そう、申し訳ない気持ち、唯それのみです。

それで、これからは前を向きます。

このような状況下で場所をご提供くださる方々、オンラインでも楽しめると集ってくださる方々の為に、先ずはそんな数少ない方々の為に、この両手足の指で充分に数えられる程の皆さんが居てくださる限り、絶対に止めないと決めましたので、これからも堂々とこの歩みを進めて行きます。

そしてこれから少しでも新しい方々と出会って行く為にも、離れて行った皆さんが態度によって示してくださったメッセージを今一度真摯に受け止めこれからの糧にし、新しい時代へと歩を進めて参ります。

本当に2020年、ありがとうございました。

さぁ、空気をガラッと変えて、2021年をスタートしましょう🌅