先ずはじめに、昨日参加してくださった広島と福岡の皆様、誠にありがとうございました。
前日夜のブログでの宣言通りかそれ以上のインパクトで色々な気付き発見を持たせて頂きました。
心より感謝申し上げます。
昨日の皆さんの集中は、またまたたくさんの言葉を、僕の心身をバイパスとして、この皆が生きている世界に送り出させてくれたのです。
なんか凄いこといっぱい言ってたなぁー。
はっきり覚えてることも、なんだかおぼろげなものも、とにかくいっぱい大事なことを言ってたと思います。
それで、この半月程の期間が、このようなワークショップも含めて、新たに学ぶこと体験することの意味を改めて考える契機にもなりました。
くだけた言い方にすると、本気でドキドキワクワクが好きかどうかという話です。
知識の詰め込みは皮肉にもそのドキドキワクワクを回避する作業ともなります。
ドキドキワクワクは快100%であれば結構なことですが、スパイスのように少量の恐怖感も含まれているものです。
脇目も振らずにたった一つのことに集中することは、学びの深度が進むにつれてドキドキワクワクに出逢うペースは段々と緩やかにはなって来ますが、その代わり心の赴くままに無理無く続けていれば、時期が来ると必ず真新しい新鮮さを伴った本当に未知のドキドキワクワクへと導いてくれるものです。
ところが、色んな関連性のある学びに範囲を拡げていくことは、一方で得たことが他方に取っての予備知識となり、情報としては相乗効果ということになり、好ましい方向性を示すことにはなるのですが、しかし一方でその裏に含まれている、ドキドキワクワクの中の未知の世界に出逢う恐怖心を排除する心理が勝っているならば、本当の学びとはなっていないことに、充分気を付けなければならないと感じています。
特に人間の心と体に深く携わることを学ぶのであれば、いつどんな時でも素の自分、丸腰の状態で新たな場に臨む覚悟、そのシチュエーションを楽しむ以外に本当の道は無いのではないかとさえ思います。
今この瞬間に縁あって出逢った新しく素晴らしい感覚を、似たタイプの予備知識が吸着し絡め取って心の動きを自我の都合に合わせて表面上の整理整頓をしてしまう。
感動と動揺の見分けが付かなくなって、感動までも恐怖のカテゴリーに分類してしまう。
これでは本当の心の学びにはなりません。
いつまでも感動を忘れずに、ドキドキワクワクすることが、唯一の学び、人と深く関わり発信して行ける学びなのではないでしょうか。
なので、昨日集まってくださった皆さんの頭の中を真っ白にして取り組んでくださった在り方がとても心身に染み入ったのです。
なのでもう一度言わせてください。
ありがとうございます。