呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

あれから2年

約2年前にこんな記事を掲載しました。

http://nakayama-att.hateblo.jp/entry/2018/07/26/170237

この時の彼がもう高校2年で、コロナ騒ぎの最中、只今日本に長期帰国中です。

この記事の時は残念ながら第二回目のレッスンが実現する前にアメリカへ戻ってしまいましたが、昨年も、そして最近も、日本に滞在中は忘れずに貴重な時間を割いて幾度となくレッスンを依頼してくれています。

本日もそれで立派なご自宅の音楽室的な部屋へとお邪魔して来ました。

とにかく真剣に歌が上手くなりたい、何とか歌で世に知られる存在になりたいとの思いで、いつもオリジナルやカバー曲をたくさん聞かせてくれます。

最初のレッスンの時に伝えた体と呼吸と本気で伝えることとは?という話、あの話を頭だけではなく体へまるごと落とし込むのは大人でも至難の技(大人の方が却って難しいか?)。あの時も、あの時からずっと暫くの間も、未知の世界、本気の自分を知ってしまうことに対して正直戸惑っていた筈です。

ですからそれ以降にたっぷりの間隔が空いて行った数回のレッスンでも、日々のエクササイズとして解釈した動きの点検という要求はあったものの、その他は言葉による歌への感想を求めて来ることが主でした。

しかし今日、最初に伝えた時の具体的な内容の一部を、特に音(自分の声)が背中に響く感覚、呼吸の方向性、本当の個性等に付いて、改めてレクチャーしてもらいたいとのリクエストが出ました。

きっと、自分の希望とレッスンの内容、その接点が少し府に落ちるまで、ずっと待ってたのだと思います。

そもそもこのレッスンを一緒になって依頼してくれた彼のお母さんの言によると、音程が良くないとのこと。

確かにそうかもしれないのですが、それを機械の修理や調整のように扱うことほど危険なことはありません。

リードして歌ったり、楽器で“正しい”音程を聞かせて真似させる、こんな乱暴なこと僕には到底出来ません。

彼のこれからの人間的な精神的な成長、それと勿論声帯という精密極まりない器官やその他肉体的な成長、そのバランスの中でどのように歌が表現が共に成長を遂げるか、そこを定点観測のように見守ってあげること、世の中にまだまだある、練習の積もりでそれだけは絶対にやってはいけないことを回避する為の知識と感覚を磨く手伝い、これらが僕の主な役割です。

僕が想像出来る範囲の中なんかに、彼の将来性、才能を押し込める権利など、僕はおろかその他の人も誰もそんなものは持っていないのですから。

彼には彼にしか歌えない歌がある。