呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

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“緊張”に関する指導、アドヴァイスから見えて来るもの②

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肩に力が入っていると目立ちやすく、改善点として指摘されることはよくあると思います。

「肩の力は抜かなければダメ」「もっと肩の力を抜いてリラックスして」「肩が上がってる、もっと下げて下げて」・・・。言われている多くの人は、全く気付いてなかった訳ではないけれども、「知らない内に力が入ってしまって、力を抜こうにもどうして良いかが分からない(だから困ってあんたの所にそれをどうすれば良いか教えてもらいに来てるんだけどね・・・)」という心理状態で膠着状態に陥ることもしばしばかと思います。

緊張させるべきではない個所が不本意に緊張してしまっている状態の代表例が、この肩です。一所懸命に努力して、さっきまで出来ていなかったことが出来るようになりたくて練習する訳ですから、出来た時の感覚はこれまでの人生で一度も味わったことのない感覚かも知れません(たまに、既にちゃんと出来ているのに、本人が想像していたものと余りにも違っているために、不正解だと思い込んでしまうパターンもあります)。それをただ、今どこそこに力が入ってしまっているという指摘だけされて、具体的な解決策を与えてもらえないのなら、焦ってしまってどんどんと迷いが増大するでしょう。しかしそれでも目の前の時間に努力の跡を残したい、間違うと指摘されるからなんとか懸命に取り組んでいる姿だけでも見せないと・・・という想いが今使える範囲内で身体を動かそうとします。その指令を最もダイレクトに受け取って取り敢えず手っ取り早く動いてくれてしまうのが他ならぬ肩と言えるのではないでしょうか?

このように考えると、反応してくれるべき理想の部位を活性化させない限り、安心して肩に休んでいてはもらえないと思うのです。なんとかしよう、上手く出来るようになって認めてもらおうという気持ちを肩以外で表現する術を知らずに肩すら何もしなくなったとしたら、「サボるな!気を抜くな!」と怒られそうな心配も出て来ます。ですから指導者は、「肩を下げなさい」というアドヴァイス?をしている時間があるなら、その代わりに正しく使われるべきその他の部位を、身体に理解させるような取り組みをするべきだと考えます。

このような、メッソドの良し悪しを述べた文章を、多くの同業者は内心ドキドキしながら読むことも多いでしょう。自分のやり方がヤリ玉に挙がっていれば、どんなに無名の素人の戯言でもそれは心中穏やかではないですから。そんな中でも、ここまでの内容に賛同して下さる方はかなり多いと思います。世の中には腹式呼吸という言い方を筆頭に、胸の浅い個所だけで呼吸をするのは身体に良くない、もっとお腹を使って呼吸をするべきだ、との考え方がかなり一般常識として流布されているのは事実です。

では、「肩の力を抜きなさい」の代わりとして有効なのは、「もっと腹に力を入れなさい」でしょうか?それとも「横隔膜で支えなさい」でしょうか?「お腹に手をあててそこに息を吸い込みましょう」「腰の辺りが膨らむように息を入れて」「丹田を意識して」・・・。

さてこれらの中に理想の答、正解はあるのでしょうか?

今ここで言えるのは、後ろ向きに適当に放り投げたボールでも、たまにはゴールに入ってしまうことも無くはない、ということです。ここにわざとらしく撒き餌のように挙げたのは、取り組むためのプロセスではなく到達地点としての結果を提示したに過ぎないものや、ヒトという生物として自然にあるべき呼吸のシステムを誤解させるような、そんな一面を孕んでいるように思われる言葉の数々なのです。

ではどうすれば良いのか?続きはまた次回に。