呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

実験第二回は無事終了、爆発は回避され、ほんのりとした暖かい何かが産まれました💮

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“声と呼吸の実験”第二回は結局四名で行われました。

今回はインプロヴィゼーションをやる雰囲気にはならず、皆さん各々に弾き語りや朗読で、本当によく実験して頂くことが出来ました。

「◯◯だから、ちょっとやめといた方が良いかな?」

「これはさすがに無理があるだろう」

といった配慮がそもそも不要な場なんだ!というのをしっかり思い出してやり切ってくださいました。

いつも本人が心配するほど全然変じゃない。

寧ろ逆に本人がどれだけ自分にしか出来ないことをちゃんと出せてしまっているか。勇気を持って前に出た瞬間に全ては動き始め他の何物(者)とも比べられない何かが溢れ出しています。それはどれだけ隠そうとしても隠せるものではなく、他の誰とも似ていない、今まで観たことも聴いたこともないからこそ価値がある、そのことが、しっかり見ると、まざまざと、はっきりと見え、聞こえています。

ここまで必死の思いで書いてみました。何が必死かと言いますと、やっぱりその場で生で見聞きした感じが全然書けないから。

皆さんの本当に潔い感じとか自然な感じ、普通な感じが良過ぎて、書けば書くほどダサくなるんです。今回はインプロをやらなかった分、地味だったかも知れませんが、本当に内容が濃くて、何よりも各々の人が自分なりに今試したいことを妥協なく試せたこと、それが素晴らしかった。

皆さん今回も、飾らず爽やかで快い演目の数々を、本当にありがとうございました。この試みへの参加者が、少しずつでも地道に増えてくれたらと、本当に心から思います。

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※終了しました/今日11/30(土)はいよいよ“声と呼吸の実験”

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一昨日11/28のブログでは鳥ひろライヴ決定の興奮から“声と呼吸の実験”の主旨からは逸脱スレスレの決意表明のような文章を書いてしまいましたが、このイベントでの主役は勿論僕ではありませんのでどうぞご安心ください。

ご参加頂く皆さんが、本当に心の赴くままに、また感性に任せてある意味“無責任な思い付き”を何でも自由に表現して頂いて良い、そんな場になればと願って開催するものです。

チラシにありますように、今回は見学だけでもOK(参加費応相談)となっております。

ステージ付きのちょっと広めの畳敷き(和室)。ホントに旅館の宴会場を切り取って持って来たようなスペースで、お菓子を食べてお茶しながら勿論おしゃべりもいっぱいして、のんびり過ごして······人によってはのんびりは違うかな?とにかくリラックスして頂けたらと思います。

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“ライヴ in 鳥ひろ” 多分決まり⁉️

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先日ご紹介しました茅ヶ崎の「鳥ひろ」。このお店を活気付けなければと、同じ茅ヶ崎で“神様が喜ぶ家作り・平沼組”を営み、最近CDデビューも果たされた歌手でもある平沼広行さんからお誘いがあり、一緒に“鳥ひろライヴ”をやることになりました。

12/3(火)の、多分夕方以降だと思うのですが、何せたった今メッセンジャーというツールでやり取りして決定したばかり。それに何人も入れるような大きな店でもないので果たして何がどうなることやら。

でもです、こんな時に即決するのが僕の(←今日の一人称は何故か“僕”)信条ですから。

それで、11/30(土)に行う“声と呼吸の実験”でも多分いっぱい歌います。勿論鳥ひろのリハーサルなんていう小さなことではなく、あれこれ歌ってる内に忘れていたあの歌この歌を思い出して、鳥ひろのママにプレゼント出来たらと、そんなことを念頭に置きながら、これまでまだ人前で一度も歌ったことの無い歌も、たくさん演ってみたくなって来ました。

11/30(土)13:00-17:00 “声と呼吸の実験”

12/3(火)“鳥ひろライヴ”※詳細不明

輪読会は原点回帰路線で今回も充実、その後のワークは更に濃かった

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11/24(日)午前中の輪読会は前回に引き続き、目が覚めたようにしっかりと開始から直ぐに本を読み進めました。今日は珍しく「大体この辺りまで読む予定で」と先に決めたのですが、一区切りの小項目、行にすると20行足らずで一旦感じた事を述べ合いましたら話が止めどなく続いてしまいました。

発声教育に関する事柄、著者が最も書きたかった部分だけにこの20行足らずにも物凄い熱情がこもっていて、それに誘発されるように参加者各々の思いも溢れて止まらなくなった、そういう状況でした。

予定していた数ページがたったの20行以下に。しかしこのゆっくりだけど豊かな進み具合、或いは進まなさ具合、横道に逸れているようで実は本線をしっかりとグリップしている快感。この遅さは一時期続いてしまっていた停滞感とはもう明らかに違うもの、確実な推進力を内包した本物です。輪読会が戻って来ました。

 

その後場所を移してのワークショップは、隔週でほぼ毎回、しかも2枠みっちり受けてくださるお二方と計3時間。誰にでも極簡単にこなせる動きを只々ゆっくり丁寧に、今体で何が起きているのかを、あくまでも自分に優しい眼差しで見つめながら進めて行く。そんな濃い時間となりました。

自分の手が届かない箇所、他人の手でも到達出来ない体の深部に、呼吸が宿り正に息づいている、そういう事実に改めて気付けた時、なんだかみんな“教祖様”みたいな(笑)、でも真面目な話、深遠なる感想を述べられるんですね。決して怪しいムーブメントを画策してる訳ではありませんが、そのような場面に出会うとやっぱり感動します。

こういう時、雑念が頭からいつの間にか居なくなってること、よくあります。

このような作業中、難なく自分の体やその営みに興味が出て、それはイコール集中力となっていて、只無心に呼吸をしている時間を例えほんの少しではあっても体験してしまうのです。なんか今日は特に凄かったです。

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↓これは凄くなるかどうか分かりません。部屋は凄く広いですが。参加者大募集中です。

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※終了しました☔今日24(日)も冷たい雨ですが、輪読会とワークショップあります☔

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11/24(日)
10:00-12:00※輪読会(参加費無料) 
増子税務会計事務所ミーティングスペース(池袋西口

13:30-15:00
15:15-16:45
輪読会の後は、副都心線小竹向原駅から徒歩20分の広いフローリングの部屋にて2枠の開講です。※連続受講の場合、2レッスン目は¥600-割引とさせて頂きます。

週間天気予報を見ると暫くずっと雨模様みたいです。風邪または風邪のような症状が出たり何となく体がダルかったり。こんな日は相当な気力を奮い立たせないと家から出るのも一苦労、モチベーションの維持とか低下とか、そういう言い方をよくされます。特に一週間しっかりと会社や社会のために働いた方に取って、休日をどう過ごすかは最重要な問題です。

それでももし朝起きて寝床から出られたら、輪読会に是非お越しください。

また、午後からのワークショップは体調のリカバリーに役立ちます。本当ならこんな時こそお役に立てるものなのに、学校の体育の授業やトレーニング、エクササイズみたいに取り組んでしまってる方がまだまだ多いからでしょうか、体調不良でお休みする方がいて残念に思うことがあります。本来は、義務感で体を動かさない、そんな自分にシフトすることをやっているのですが、この点は伝える側にも大いに反省の余地ありですね。

それで、ここまで書いてみて改めて思うことは、朝早くから冷たい雨の中を駅まで歩くこと、電車の乗り降り······、やっぱり憂鬱で大変だ、ということです。

 

🏊水泳と🚲自転車と、あともう一つは何でしょう⁉️トライアスロンの話ではありません❗

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呼吸のことを生前、私達に優しく伝えてくださった故マリア·ヘラー先生は、

「この呼吸法で育んで行く感覚は、残念ながら水泳や自転車のように、一度身に付ければどんなにブランクがあっても一生忘れない技術とは違うものです」

と、教えてくださいました。

ならば一定のスケジュールに従って、ノルマをこなせば感覚が育つのか?というと、それは違うと思います。そんなやり方は下手をすると「あぁ、今日もやった」と、頭の中だけで満足することにもなりかねません。

鍛えて満足する、しんどいことを我慢して続けていればいつか褒めてもらえる認めてもらえる、これだけやれば誰にも文句は言われないだろう。

私達はちょっと油断するとこんな言葉がぴったりの動き方や働き方になってしまいます。

かと言って、“無理をすることはない”の考えがある閾値を越えると、“出来るのにやらない”状態に変わってしまいます。

こうなってしまった時に人は、背中の力を緩めるという権利をすっかり忘れてしまい、それがそのまま、自分が生かしてもらっているこの世界に還元できる奉仕の能力とその可能性を、一切目覚めさせない枷となっていることに全く気付けなくなってしまいます(※気力が充実せずにダラっとしてしまっている状態、このような時は確かに姿勢が悪くなっているので背中が緩んでいると思うかも知れませんがそれは大きな間違いで、きっと見た目が曲がっているだけで、背中の中身はバッキバキに固くなっている筈です)。

もう一度最初の部分、マリア先生の言葉をよく読んでください。感覚が育つには、やっぱり多くの方と共に“可能な限り”実際に体を動かすことで、出来ている積もりの頭と、忘れてしまう体の実際に気付き、初めて発展させることが出来るのです。今一度この“可能な限り”というところに弛みがないかを確認することが大切だと思います。

幸いなことに、少しでも経験した人が再び“何もかも忘れて”取り組み直す時、その時には例え少ない経験でもそれまでのことがしっかりと生きていて、単なる初心者としてではなく継続して行ける、そんな不思議なことが起きるのもまた事実なんです。

マリア先生の遺された言葉の中には幾つも印象深いものがありますが、今回取り上げたこの言葉の影響は、一瞬たりとも途絶えたことはありません。勿論、自分自身への戒めとしてもそうなんですが、加えて特に、何年か続けている中で気が付くと本当に呼吸法をやっている時間が減少してしまっている方々や、呼吸の学びに一段落着けて、それを“忘れないようにして”歌や何かに生かそうと言う人に取って非常に大切なものです。よく味わって頂けなたら本当に嬉しく思います。せっかく出会った呼吸法を決して頭の中だけで完結してしまわないように、心からの願いです。

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↓今日のこれは完全に脇役、単なる序でです。

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🐔いい話だから物凄~く長~くなる🐔“鳥ひろ”のママと表現力の大切さと11/30(土)のイベントと🐔

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茅ヶ崎に“鳥ひろ”という小さな小料理屋さんがあります。Googleで検索すると恐らく最上位に表示される筈です。

大船でのワークショップに参加された方々が終了後に車で移動中、偶然見掛けて何気なく入ったのがこの“鳥ひろ”でした。

活気もなく、食材も始末して始末して最小限の物しか用意してないとのことで、余所のお家に突然お邪魔したのならともかく、提灯も暖簾も掛かった正真正銘のお店で、有り合わせの物しか出来なさそうな雰囲気に最初はちょっと面喰らったようです。名前は“鳥ひろ”なのに日とタイミングによっては鳥が出ないこともあるとか。

そう言えば20年近くも前に当時の仲間と軽井沢をドライブしている途中、お腹も空いてきたので何処か良い店を探していたら、でっかい木の切り株に物凄いド迫力で“ラーメンとぎょうざの店”とはっきりと印象的に深く彫り刻まれた看板を見付け、全員が「もうあそこしかない、あそこに決めよう」と口も胃袋も完全にラーメンとぎょうざ状態で席に着きました。それで注文を聞きに来たおばさんに「それじゃあ取り敢えず全員ラーメンとぎょうざで」と伝えると、相当なレベルの困った顔で溜め息をつきながら「ウチは特にラーメンとぎょうざは······(やってません)」と。こっちは全員目ん玉も吹き出しの中の台詞もオール点「・・・」に。だったら何が出来るの?となって結局全然違うものを食べたんですが、事の真相は店の経営者が代わって内容も変わったのに看板や外装はそのまんまだったというパターンで、でもその状態でラーメンとぎょうざを注文されて物凄く困った顔すんなよって話なんですが。それで、鳥ひろの提灯見て入った客が肝を注文しても無いって言われたらそれこそ正に“度肝を抜かれる”だろうということなんです。

で、ところが少しずつ小鉢なんかが出され落ち着いて味わってみた時に、同行者のお一人、料理教室のY先生が「でもここの料理美味しいよ」と仰って、他の方々も落ち着いて味わってみると、確かにどの料理も少しずつオリジナリティのある一手間が加えられていて美味しい、それが段々と分かり始めたそうです。

ママに話を聴いてみると、数年前にマスターであった旦那様が他界され、それからはいつお店をやめようかと迷いながらも、お友達に励まされたりしながら、亡き夫の想いを胸になんとか続けているとのこと。

そんな打ち明け話を聴きながら「ウチは見掛けによらず結構凝った料理を安く出してるから、もっと飲んでもらわないと儲かんないのよ~」と笑うママに対して、あんまり飲まない女性客三人は何故だか不思議と意気投合、その内のお一人ヨーコさんは普段も電話でやり取りするまでの間柄となったのです。

先日その“鳥ひろ”へ、大船でのワークの後ヨーコさんに連れて行ってもらいました。

初めて会った鳥ひろのママは声がハスキーで、マスターが亡くなったその後は天涯孤独の身となり、話に聞いていた通りどうしてもこの店を続けて行くといった力強さは感じない、そんな雰囲気の人でした。私もお酒は飲まないので申し訳ないと伝えると「いいのよぉ、気にしなくても」と言ってくれて、これまた話に聞いていた通り、全てにほんの少しずつ一手間掛けた小鉢が順を追って出て来ましたが、それらが確かに皆“美味しい”のです。この日はたまたま活きのいいシマアジが入ったとのことでそのお刺身も頂きましたが、これがまた絶品。そしてメインは焼き鳥(※良かった鳥がある日で)。ママはすかさず「焼き鳥丼にして食べる?秘伝の特製ダレが美味しいよ」と薦めてくれ、刻んだネギとお新香まで付けてくれたのです。これが美味しくない訳がない。

私は、だいたい小学校三年の途中位までは食べ物の好き嫌いが激しく、野菜はほとんど無理、更に学校給食がどうしても食べられず居残りさせられるような子供でした。二年生の時には担任の先生にスプーンで無理やり給食のおかずを口に入れられ、二日連続で吐いてしまったこともありました。

ところが少しずつ食わず嫌いを克服し、大学生の頃には友達が目の前で、自分が苦手な食べ物を美味しそうに食べるのを見ては、「なんか今なら食べられるかも。俺にもちょっとくれ」とチャレンジを続けていたら、いつの間にか全くと言って良いほど食べ物の好き嫌いは無くなりました。世界中の遠い国の民族色の強い物や所謂ゲテモノ料理はちょっと無理かも知れませんが、そうじゃなければ出された物は何でも食べられるようになったのです。

呼吸のインストラクターなどやらせてもらっている関係で、普段の食事への拘り、無農薬とか有機食材、ミネラルウォーターやサプリメント、そんなのが全て決まってるんじゃないか?と勘違いされることもあります。体型もこんな中年を越えた年齢になっても細過ぎる位に細く、どんなに食べても腹なんか数ミリも出やしませんので余計にそのように思われますがとんでもない話で、実際にはその真逆。出された物は分け隔てなく何でも残さずに頂きます。しかも別に取って付けたように言う訳ではないのですが、頻繁に「美味しい」というのを口に出してしまいます。好き嫌いを克服し始めた頃からをよくよく思い返してみても、そもそもがこれ迄に不味いものを出された記憶なんか無いんです。

あっ!でも二回だけある。一回は小さい頃に母親がインスタントの焼そばを間違えてラーメンにしてしまった時。もう一回はやっぱり子供の頃、親戚中で唯一ヤンキーだった従姉妹の姉ちゃんが“日清の出前一丁”を突然作ってくれた、あれは、気色悪い不味さだった。インスタントラーメンのような定型の物をどうやったらこんなに不味く作れるのか?と物凄く不思議に思いながら我慢して必死の思いで食べた、この二つが不味い食べ物を出された記憶で、それ以外一時期の学校給食を除けば目の前に出て来た食べ物はどれも美味しい記憶しかない。

だから「美味しい」と言うのは自分にとっては当たり前の表現で、その中でも鳥ひろの料理は特に感覚の深いところまで染み渡るような「美味しい」だったことは間違いありません。そんな私の発した「美味しい」が、今度は鳥ひろのママに取っての深いところに何故だか妙に響いてしまったようなのです。

後日ヨーコさんのもとへ鳥ひろのママから電話があり、「あのヒト(←私のことです)があんまり美味しそうに食べてくれたもんだから、なんだか嬉しくなって勇気が出て、昔書き留めた料理のアイデアノートを見直したりして、また本腰入れてマスターの意志を継いで、しっかりやっていこうと思えたの」と語ってくれたとのこと。

美味しいと感じた時には素直に美味しいと言う。以心伝心ということも確かに大切で、時と場合によっては言葉が野暮になってしまうことも確かにあります。

それでも、はっきりと言葉にして言えるのなら、伝えられた方はやっぱり嬉しい。

奇をてらわずに、そのまま素朴に、余計な考えを差し挟まずに伝えることが、こんな風に誰かの生きるエネルギーともなり得るのですから。

決して手前味噌などではなく、私は永年呼吸を通して自分と向き合って来た、その影響が少なからずこの「美味しい」に宿っていると確信しています。

↓今回はフェイントで最下段にチラシが待ち受けていました(笑)素直な表現を後押し応援するセーフティフィールド、参加者大募集中です。

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