呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

🐔いい話だから物凄~く長~くなる🐔“鳥ひろ”のママと表現力の大切さと11/30(土)のイベントと🐔

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茅ヶ崎に“鳥ひろ”という小さな小料理屋さんがあります。Googleで検索すると恐らく最上位に表示される筈です。

大船でのワークショップに参加された方々が終了後に車で移動中、偶然見掛けて何気なく入ったのがこの“鳥ひろ”でした。

活気もなく、食材も始末して始末して最小限の物しか用意してないとのことで、余所のお家に突然お邪魔したのならともかく、提灯も暖簾も掛かった正真正銘のお店で、有り合わせの物しか出来なさそうな雰囲気に最初はちょっと面喰らったようです。名前は“鳥ひろ”なのに日とタイミングによっては鳥が出ないこともあるとか。

そう言えば20年近くも前に当時の仲間と軽井沢をドライブしている途中、お腹も空いてきたので何処か良い店を探していたら、でっかい木の切り株に物凄いド迫力で“ラーメンとぎょうざの店”とはっきりと印象的に深く彫り刻まれた看板を見付け、全員が「もうあそこしかない、あそこに決めよう」と口も胃袋も完全にラーメンとぎょうざ状態で席に着きました。それで注文を聞きに来たおばさんに「それじゃあ取り敢えず全員ラーメンとぎょうざで」と伝えると、相当なレベルの困った顔で溜め息をつきながら「ウチは特にラーメンとぎょうざは······(やってません)」と。こっちは全員目ん玉も吹き出しの中の台詞もオール点「・・・」に。だったら何が出来るの?となって結局全然違うものを食べたんですが、事の真相は店の経営者が代わって内容も変わったのに看板や外装はそのまんまだったというパターンで、でもその状態でラーメンとぎょうざを注文されて物凄く困った顔すんなよって話なんですが。それで、鳥ひろの提灯見て入った客が肝を注文しても無いって言われたらそれこそ正に“度肝を抜かれる”だろうということなんです。

で、ところが少しずつ小鉢なんかが出され落ち着いて味わってみた時に、同行者のお一人、料理教室のY先生が「でもここの料理美味しいよ」と仰って、他の方々も落ち着いて味わってみると、確かにどの料理も少しずつオリジナリティのある一手間が加えられていて美味しい、それが段々と分かり始めたそうです。

ママに話を聴いてみると、数年前にマスターであった旦那様が他界され、それからはいつお店をやめようかと迷いながらも、お友達に励まされたりしながら、亡き夫の想いを胸になんとか続けているとのこと。

そんな打ち明け話を聴きながら「ウチは見掛けによらず結構凝った料理を安く出してるから、もっと飲んでもらわないと儲かんないのよ~」と笑うママに対して、あんまり飲まない女性客三人は何故だか不思議と意気投合、その内のお一人ヨーコさんは普段も電話でやり取りするまでの間柄となったのです。

先日その“鳥ひろ”へ、大船でのワークの後ヨーコさんに連れて行ってもらいました。

初めて会った鳥ひろのママは声がハスキーで、マスターが亡くなったその後は天涯孤独の身となり、話に聞いていた通りどうしてもこの店を続けて行くといった力強さは感じない、そんな雰囲気の人でした。私もお酒は飲まないので申し訳ないと伝えると「いいのよぉ、気にしなくても」と言ってくれて、これまた話に聞いていた通り、全てにほんの少しずつ一手間掛けた小鉢が順を追って出て来ましたが、それらが確かに皆“美味しい”のです。この日はたまたま活きのいいシマアジが入ったとのことでそのお刺身も頂きましたが、これがまた絶品。そしてメインは焼き鳥(※良かった鳥がある日で)。ママはすかさず「焼き鳥丼にして食べる?秘伝の特製ダレが美味しいよ」と薦めてくれ、刻んだネギとお新香まで付けてくれたのです。これが美味しくない訳がない。

私は、だいたい小学校三年の途中位までは食べ物の好き嫌いが激しく、野菜はほとんど無理、更に学校給食がどうしても食べられず居残りさせられるような子供でした。二年生の時には担任の先生にスプーンで無理やり給食のおかずを口に入れられ、二日連続で吐いてしまったこともありました。

ところが少しずつ食わず嫌いを克服し、大学生の頃には友達が目の前で、自分が苦手な食べ物を美味しそうに食べるのを見ては、「なんか今なら食べられるかも。俺にもちょっとくれ」とチャレンジを続けていたら、いつの間にか全くと言って良いほど食べ物の好き嫌いは無くなりました。世界中の遠い国の民族色の強い物や所謂ゲテモノ料理はちょっと無理かも知れませんが、そうじゃなければ出された物は何でも食べられるようになったのです。

呼吸のインストラクターなどやらせてもらっている関係で、普段の食事への拘り、無農薬とか有機食材、ミネラルウォーターやサプリメント、そんなのが全て決まってるんじゃないか?と勘違いされることもあります。体型もこんな中年を越えた年齢になっても細過ぎる位に細く、どんなに食べても腹なんか数ミリも出やしませんので余計にそのように思われますがとんでもない話で、実際にはその真逆。出された物は分け隔てなく何でも残さずに頂きます。しかも別に取って付けたように言う訳ではないのですが、頻繁に「美味しい」というのを口に出してしまいます。好き嫌いを克服し始めた頃からをよくよく思い返してみても、そもそもがこれ迄に不味いものを出された記憶なんか無いんです。

あっ!でも二回だけある。一回は小さい頃に母親がインスタントの焼そばを間違えてラーメンにしてしまった時。もう一回はやっぱり子供の頃、親戚中で唯一ヤンキーだった従姉妹の姉ちゃんが“日清の出前一丁”を突然作ってくれた、あれは、気色悪い不味さだった。インスタントラーメンのような定型の物をどうやったらこんなに不味く作れるのか?と物凄く不思議に思いながら我慢して必死の思いで食べた、この二つが不味い食べ物を出された記憶で、それ以外一時期の学校給食を除けば目の前に出て来た食べ物はどれも美味しい記憶しかない。

だから「美味しい」と言うのは自分にとっては当たり前の表現で、その中でも鳥ひろの料理は特に感覚の深いところまで染み渡るような「美味しい」だったことは間違いありません。そんな私の発した「美味しい」が、今度は鳥ひろのママに取っての深いところに何故だか妙に響いてしまったようなのです。

後日ヨーコさんのもとへ鳥ひろのママから電話があり、「あのヒト(←私のことです)があんまり美味しそうに食べてくれたもんだから、なんだか嬉しくなって勇気が出て、昔書き留めた料理のアイデアノートを見直したりして、また本腰入れてマスターの意志を継いで、しっかりやっていこうと思えたの」と語ってくれたとのこと。

美味しいと感じた時には素直に美味しいと言う。以心伝心ということも確かに大切で、時と場合によっては言葉が野暮になってしまうことも確かにあります。

それでも、はっきりと言葉にして言えるのなら、伝えられた方はやっぱり嬉しい。

奇をてらわずに、そのまま素朴に、余計な考えを差し挟まずに伝えることが、こんな風に誰かの生きるエネルギーともなり得るのですから。

決して手前味噌などではなく、私は永年呼吸を通して自分と向き合って来た、その影響が少なからずこの「美味しい」に宿っていると確信しています。

↓今回はフェイントで最下段にチラシが待ち受けていました(笑)素直な表現を後押し応援するセーフティフィールド、参加者大募集中です。

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