オンラインを導入してからワークショップ開催の頻度を上げてくださっている広島・福岡の皆さんと共に、呼吸を通じて本日もありとあらゆる体験をさせもらうことが出来ました。
ここ数回ほぼ同じ方々が来てくださることと、日程の間隔が狭まっていることもあって、自然と始まって直ぐの段階から内面との繋がりが濃い目のワークを今日は選択していました。
いつもの如く、外部から見学したとすれば一体何をやっているのか皆目分からない、もしかすると、何もやってないようにさえ見える、そんなワークを投げ掛けさせてもらって、味わう時間が多く長くなる、それが濃い目のワークの特徴です。
そんな時間を過ごす中で、ご参加メンバーの中から見事に的を射たワークの意味付けや解釈が、頭で考察した理屈なんかでは無いリアルタイムの実体験として語り出されます。
それらの多くが決して口裏を合わせた訳でも当然無いのに、ワークを投げ掛けた僕も何となくそのように感じていたこととの心地好い符合が見られたりするのです。
それは結構しょっちゅう、するのです。
首や肩や背中や腰に背負った固さや凝りや痛み等の違和感や、その他諸々の " 症状 " と呼ばれることの全て。
これらを外部からの侵入者、異物、敵と見なすのか、じっと見詰めて感じ入って味わうことで、実はそうでは無かったかも、と認識を新たにするのか。
もしもそのように認識を新たにするのだとしたら、その正体とは一体何なのか。
言葉にするとすればこのような感じのプロセスが短い時間の中で体の内側で展開され、平和な着陸点を見付けたりもするのです。
その時に人は、目が覚めたように感じることがあります。
そう、別に、その時まで居眠りやうたた寝をしていた訳では無いのにです。
さっきからちゃんと起きてちゃんと目覚めてたのに、その上で目が覚めたように感じるのです。
でも、起きたままで目が覚めるには、居眠りやうたた寝はしないまでも、一旦は浸け置き洗いの洗濯物のように、ぐんにゃぐんにゃのしわくちゃになって、繊維の奥からの汚れまでが浮き出て来るような、そんな時間、自分を待ってあげる時間を持つことが必要となって来ます。
これは、一人でやる作業と言えばそれはそうなんですが、可能であれば一人よりも何人かと一緒にやる方が、より効果が促進されます。
そんな体験をお互いに安心して語り合い、認め合う環境が、ここに見事に育っています。
今回も、広島声の文化普及協会・和田さん、全てのセッティングをありがとうございました。
勿論、ご参加頂いた全ての皆さん、ありがとうございました。
次は多分7月ですかね。
またお会い出来ますと幸いです。
次回もどうぞ宜しくお願い致します。