人前で自ら進んで歌を歌いたがる人と、躊躇するまたは歌いたがらない人、比べるとどちらが多いのでしょう?潜在意識を考慮すると、圧倒的に実は歌いたいという人の方が多いようにも思えるのですが、実際には恥ずかしいと感じる人が多いのではないでしょうか。小学生の頃、音楽の時間に一人ずつ歌うことになったり、歌わないまでも、国語の時間に一人ずつ本読みをさせられると、ほぼ全員緊張したのではないかと想い出されます。
何故緊張するのでしょう?
久しぶりに人と会う、否、毎日会っている人とでも、たった一日経っただけで体調の変化に気付かれたりすることがあります。「今日は顔色が悪い」とか、「すこし痩せたね」とか、心の中では顔の相が悪くなった等と呟くこともあるかも知れません。
これは、今この瞬間までどのように生きて来たかが否応なく表面に現れてしまっているので、隠しようがない事実として認めざるをえません。肌ツヤ、息遣い、姿勢等など・・・。
この中に、しっかりと声も含まれます。
声は今ここに在る身体の状態、何処がどんな風に緊張していて、どれくらいリラックス出来ていて、そして細胞レベルでの潤いや張り・・・そういうもの全ての状態を、空気の振動という形で表に出している一つの現象です。黙っていれば晒さずに済む自身の現状が、声を出すことで他者に伝わることになります。ただそこに居るだけで、どのような状態であるかを想像以上に情報発信している上に、生の声には更に全てが乗って出て行ってしまうと言えます。
人前で歌うことはある意味で、例えば肌年齢検査の拡大画像で、毛穴や黒ずみをみんなに見てもらうような作業と同じなのかも知れません。本能的に警戒心が出て、
唄うことは日記を見てもらうこと。
人に読まれることを想定して書いた日記ではなく、昔ながらの本当の意味での日記。
嫌な思いはそのままに、幸せな気持ちもそのままに、節制が足らずに不調の日はそれがそのまま文章にも表れる(つまり歌にも表れる)。
歌を聞いてもらうということは、かっこいい自分を見せられるとは限らない。良い日も悪い日も、包み隠さず見てもらおう(聞いてもらおう)という、もの好きな人が歌手である(べきで)ある、と思う。
その潔さこそが、唯一歌手のかっこ良さであると、思う。