呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

再掲載その9「叫びました!なんとかなりました!~心に再び歌の灯がともる~①②③④⑤⑥」

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またまた先日のライブで歌った後の感想です。

なんで今回歌った後にこんなにも次々と言葉が出て来るのかと申しますと、ちょっとした壁を乗り越えたからであろうと思っています。

昨夏のミトミライブが約7年振りの開催で、実はその1~2年ほど前に、友達の結婚パーティーで歌う機会がありました。その準備で一人で歌ってみた際に、高い声を出そうとすると、右側の声帯が振動してくれていないことに気付いたのです。元々声の調子の波が激しいタイプで、そういうこともあって声と呼吸法に辿り着いた経緯があり、少々のことでは驚きもせず当たり前に対処出来ていたのですが、この時に気付いた不調というか違和感は、それまでに感じたものとは違い、どうも自分の想定外、コントロール下ではない所から来る得体の知れないものでした。本番になればいつもなんとかなる、否それ以上の声が出ることが身上だったのに、結局パーティーでは音響の方が当初は掛けないはずだったリバーブを急遽掛けざるを得ない、それくらい声に響きが乏しい状況でした。

その状態は昨夏の本番まで回復することはなく、ミトミさん作「白銀のプロムナード」に関しては、本来の調子ならもう少し高いキーで歌っていただろうと思え、非常に残念な結果だったのです。

それから最近まで、何をどう改善して来たのかと言いますと、その声帯の不調に惑わされたり振り回されたりせずに、呼吸のレッスンを皆さんと共に続けること、指導しながらその言葉を自分自身にも伝えるように、自分の身体と呼吸が一致している時間を出来るだけ長く持つこと、そのことだけに以前にも増して真摯に取り組んだということでしょうか。

職業柄あってはいけない種類の皮肉ともいえる不調は、きっと与えられた試練だと受け取り、そんな時こそ今一度自身の呼吸に立ち返り、慌てず騒がずで乗り越えられたこと、それが本当に嬉しくて書かずには居られないのです。

だからまだ続きます。この不調よりもっと前から、歌の灯が心の中で消えてしまっていた長~い時期からの今回の復活なのです。

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2016年4月9日の記事でした。

写真は品川プリンスホテルの脇辺りから撮影した桜とお月さんです。

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喉に長期間違和感を感じたならお医者さんに診て頂く、普通はそうです。私自身約20年前にそうして米山先生と出会い今に繋がっている訳ですから。

それで今回の違和感では何故そうしなかったのか?まずはその頃すでに米山先生は入院しておられ、診察して頂けるような状態ではなかったこと。米山先生の跡をしっかり継いでおられ、たくさんの患者さんがお世話になっている仙川の竹田先生に診て頂くことも勿論考えましたが、これまでの自分の人生を振り返って、この試練は自分の内面から取り組むべきものであるとの結論に達し、結局は診てもらわなかったというのが答です。

心理学を少しかじって分かって来たことは、自分がほったらかしにしている根深い宿題が騒ぎ立てて病気(のようなもの)・症状(のようなもの)を造り出してしまうことがあり(そういうのが全くない人も珍しいかとは思いますが・・・)、そのような症状らしきものが多めの場合、その人は心気症とか、森田療法ではヒポコンドリー性基調と呼んだりするようで、どうも自分もその部類に入るようだということ。

偏頭痛であったり肩凝りであったり、胃の痛みや関節痛など、そのように探っていくと、一見完全に外部からの侵入者とも思えるウィルス性の症状、例えばインフルエンザなんかも、そこらじゅうに飛び回っているウィルスを、色々な理由から身体が採用した時に発症するんじゃないかとも思えるのですが・・・。

ここではそんな想像は横へ置きますが、身体が発している何らかのサインに深い所で気付いてあげない限り、それらの症状はマンネリ化しないように、いつも新鮮でリアリティを失わないように手を変え品を変えつんつんと内側から突っついて来る訳です。

それらに惑わされて症状だけを診てもらっても、いたちごっこになるだけであるというのが経験上分かって来ましたので、そう簡単に答には辿り着けないながらも、とにかく慌てることなくただ黙って、皆さんとの呼吸のレッスンに今一度新鮮な気持ちで取り組み、「また高い声が響かないなら、それをも皆さんに聞いて頂こう」という心境で腹を括ってみたのが先日のライブだった訳です。

これまでもギターのコードを押さえる左手が痙攣したり、ずっとそれは腱鞘炎だと思っていましたが、最近ではジストニアの部類に入るんじゃないかと考えたりとか、まぁそんな感じで心は色んな悪戯をして来ています。

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2016年4月13日の記事でした。

写真は家の近所の知らないお宅の生け垣と雨の雫です。

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前回出て来ました「ヒポコンドリー性基調」という言葉ですが、百足(ムカデ)の例が自分には非常に分かり易く、 “ あぁ、自分のある一面を見事に言い表しているな ” と納得したものですが、それはこんな簡単なお話です。

驚くほどたくさんの足を見事に駆使して歩く百足を見て誰かがこう問いかけます。「百足さん、一体どうやったらそんなにたくさんの足で上手に歩くことが出来るのですか?」

そう声を掛けられたとたん、百足は足が絡まって前に進めなくなってしまいました・・・と、こんな感じです。

例えば皆さんに呼吸と声のレッスンをさせて頂くという立場があって、呼吸と声に関してなんの問題も無い人間でなければ失格である(きっとそう思われているであろう)という普段の意識には上らない特有の緊張があったとして、そういうものが “ 出て当たり前の声 ” を出なくしてしまっていたのか?と想像してみたり・・・。

スポーツの世界では最近「イップス」という表現を耳にするようになりましたが、同じようなことなのかなぁ~と思っています。あのイチロー選手も日本のプロ野球で大活躍していた当時、実はイップスに悩まされながらプレーしていたという告白を、先日報道ステーションでしておられました(ビックリですね!)。だから私もイチロー選手並みだと言いたい訳ではありません、念の為。次元が違い過ぎるのは自覚してオリます。

何れにしましても、この5~6年の間にはそういう勝手な想像の他に、いろいろな事を経験しました。身近なところで倒産という状況があり、それを支援していた矢先に自分自身が10年働いていた職場をお払い箱になったりしました。東日本大震災では、直に被災した訳ではもちろんありませんが、少なからず目に見えない緊張感を世間一般並みに抱え込み続けていると思います(その傷跡も癒えぬ間に今度は九州で大変な事態が起こってしまいました)。そしてそれと時を同じくして、たまたまその頃に知り合った多くの友は、自分の何十倍もの密度で、大変な人生を送って来ている友ばかりでした。

そんなある日、心の中から歌の灯が消えた瞬間がありました。それまで、どんなに人前で歌うことから遠ざかっていようが、 “ どんなに追い込まれても最後には歌ってみせればなんとかなる ” “ いつでも自分には歌がある ” と、どこから湧き出て来るのかも分からない自信に裏打ちされて生きていましたが、その瞬間に歌への愛情からなにから、全てが消滅したのです。

無理やり言葉に置き換えるなら、歌が、こんな自分の歌が一体なんの力になるというのか?こんな非力な叫びで誰を慰めることが出来るのか?という感覚が体中を支配したのだろうと思います。

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2016年4月16日の記事でした。

何だか話がえらいことになって来ました。途中に出て来る倒産の話は、先日散髪屋さんの話の中にもあった、実家の酒屋のことです。当時の自分の仕事は飯田橋の帆風(バンフー)という印刷会社での自転車便=メッセンジャー(この仕事が無い日は勿論呼吸のレッスンを受けたりアシスタントをしたり少しインストラクターもやったりの日々でした)。そこで実家の危機の頃は夕方までは配送、夜は印刷の補助と、早朝出勤+残業残業の本当に長時間労働の鬼と化し、更にいつか夢実現の為にとコツコツ積み上げた貯金も返済の助けや送金に充てていました。しかしそんな矢先、会社都合でアルバイト従業員の殆どが解雇となり目の前真っ白、途方に暮れたのを思い出すと、今も体が硬くなります。

写真は恐らく伊豆急·河津駅ホームのミラーに写り込んだホームと車輌です。

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昨年の夏にミトミライブで歌わせて頂いた時から、今回こんなにも気持ち良く歌える展望などは全く無いままに、それでも出演のお誘いを受けた時、“ やっぱり逃げちゃダメだよね ” という気持ちが自然にOKの返事をさせていました。

当日は、私達に呼吸法の手ほどきをしてくれた本場欧州からの先生が帰国される日で、終日お付き合いすることも考えられ、それを言い訳にして逃げることも出来たのですが、もし呼吸と声の実践の場、本番をキャンセルしてまで恩師の接待に従事したならば、一体何のために自分はこの先生から呼吸・声・それから表現について学んだか分からない、それでは本末転倒であると思い、出演することを即決した訳です。先生をお見送りする席を例え途中で抜けることになっても、ライブに出演することが理由ならば先生もむしろ喜んでくれるはず、そう思ったのです。

それからそうそう、そうなんです、何回か前に書きました心が作る病のような症状からは、逃げてはいけないんです。もし、また上手く声帯が振動しないかもしれないと、歌うことから逃げたとしたら、その時は楽になります。しかしそうして逃げ続けて行くことは、本来どのようにして生きたかったのか?をごまかし続ける自分を悔いながら生きて行くことでもあります。

いつの頃からかそんな風にならないように自分を導いて、そう、名付けるなら怠け者のもう一人の自分に乗っ取られないように、「その手には乗らないぞ!」と簡単には病院などには行かずに恐怖心を振り払いながら乗り切るようになって行きました。その後からですが、心理学に触れる過程で森田療法の本に出会い読んでみると、そういう生き方を “ あるがまま ” と表現してあって、なるほど怖かろうが少々痛かろうがそのまま前へ出ることが(自分のようなタイプの者には)大事なんだと確信したのです。

そんなごちゃごちゃした舞台裏で臨んだ今回のライブは、当日の実際に歌い始める第一声まで、「どんな歌声でも、それがこれまでどのようにして生きて来たか?の結果でしかない」という心持で、それこそ逃げも隠れもせずどっかりと皆様の前に登場することが出来たのです。

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2016年4月18日の記事でした。

写真は伊豆急か、それとも河津からの帰りの小田急線か、先頭の座席からトンネルの抜け際を撮影。

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小学生の時に、「木」という詩を暗唱させられました。

木・・・木がそこに立っているのは、それは木が、空に書き続けている今日の日記です・・・

そんな感じの出だしだったと思います。

日記は元々他人に見せないものだと思いますが、人前で歌うということは、人に見せることを想定せずに綴った日記を包み隠さず見せるくらいに、ある意味もの好きな行為ではないかと思います。そこに嘘が混入する余地は、本来はありません。

完璧に歌いあげる私ではなく、とりあえず今日その瞬間までどのように生きて来たか?を包み隠さず見て頂く。高い声を綺麗に出すことでも、長いフレーズを一息で歌い切ることでもなく、自分がどういう人間かが最も余すところなく醸し出せる行い、それが歌であるということなんです。だから本来歌う前に、この部分の声はちゃんと出るだろうか?とかそういった心配が入り込む余地も無いはずだと個人的には思っています。何しろお客さんに嘘をつきに行こうとしているのとは違いますから。その原点に改めて立ち返れた時に、ただただ気持ち良く歌えている自分が在りました。

これは、際限なく高音をカバーできるとか、どんなにでも長く息が続くとか、残念ながらそういうことではなくて、自分を醸し出すことに対して最大限の力を与えてくれる曲との出会い、選曲にも関係することです。

今回は、日時が決まってから当日までの間に、今《 たった今というよりは、ここ暫くは共通して歌いたくて仕方が無い気分を維持していそうな曲を身体の感覚として思い描いている期間 》何が歌いたいかが少しずつ湧き出て来て、結局当日までに9曲がリストアップされて来て、その都度歌詞とコード譜にしてファイルし、その中から6曲を歌わせて頂けたという流れとなった訳です。それらの曲は、どれを歌ったとしても私と言う人間そのものを聞いて頂く為の味方であり、足を引っ張ることなど100%あり得ないのです。

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2016年4月20日の記事でした。

写真はハワイで撮った木で、名前は分かりません。

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たった一回のライブをネタに、気が付いたら9回目のブログ更新です。

昨年夏に歌った後、「叫んでもどうにもならない事もある」というのを納得してしまっていた時、響きの乏しい声のままでは恥ずかしい、そんな姿を見せる訳にはいかないというマイナス思考のまま、人前に出ていたのだと今なら分かります。

そうです、その時は叫ぶことすらしていなかっただけなのです。

出演が決まってから本番当日までに、5度目の3.11という日も通過しました。報道等でもあの日を振り返ったり、今現在を再認識したりといった内容が繰り返され、どう歌うか?何を歌うかにも具体的な影響があった気がします。

そんな中でもう一度、吹けば飛ぶような自分に立ち返って皆さんの前に出て行ったら、悪い意味での緊張などが入り込む隙もなく、ただそこにあるのはリラックスからしか生まれ得ない集中でした。過去や未来に気持ちが飛び回ることも一切無く、ただその時その場に明晰な意識があり、聞いて下さっている方から醸し出される優しい雰囲気と一つになる・・・そんな状態を楽しむことが出来ていたのです。

これは7~8年前に一度辿り着いていた感覚に似てはいますが、もうこのような感じは味わえないのだろうと諦めていたというのもありますし、そのような “ 良かった感覚 ” を追い掛けることなく腹を括ったら、更にグレードアップしたものに出会えてしまったようです。そして歌い終えて感じたことは、虚飾を廃して叫べばまだまだなんとかなる、やっぱり歌には力があり、こんな自分の歌でも少なからず何かを伝えることが可能なのだということでした。

心に再び歌の灯がともりました。

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2016年4月23日の記事でした。

この辺の話は、ひ弱な独りの人間、未熟な歌うたいの泣き言で、聞いている人に取っては何の関係もないことです。が、人が人の前で歌い叫ぶ時、それなりの想いを背負って覚悟を決めて其処に臨んでいるのです。なので、最近のライブで大人しく聞かないアホが目の前に現れた時、正直に怒ったのです。

こうやって書いていて大事なことを思い出しました。僕は自分のワークで育んだ感性として、自分が歌うことにも増して、他の人の表現を真摯にノリ良く聴ける能力を評価したいと常々思っています。このことに付いては、また項を改めて詳述出来ればと思います。

写真は河津桜メジロ。もたもたしていたらシャッターチャンスを逃す、なので何も考えず空かさずシャッターを切ったらこんなピントの合った奇蹟の一枚が撮れていたのです。