呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

明日の屋外イベントはやめとくことにしました

オリンピックはやるんでしようからやっても良かったんでしょうけど。

なんか、代わり映えのしない公の対応や対策が人伝に耳に入るにつれて、疲れが倍増します。

明日は、今回は代替として、ご希望の方にはオンラインでのご対応をさせて頂きます。

たった二週間前にはスタジオで歌わせて頂いてたのですが。

久し振りの更新は、その、小さなライヴの振り返りをさせて頂こうかと思います。

前回の記事「レッスンとは・・・」との繋がりでもって読んで頂けると幸いです。

10畳位のスタジオと聞いて現地に着きましたが、実際にはもう少し狭く感じました。

自分の音、声もギターも返りが良くて聞こえ易く、非常に演奏が楽でした。

これまでに何度か歌ったことのある曲は、その、これまでに歌った経験が支えとして上積みされるのでしょう。なのでいつも、その時の自分なりに上手く歌えたという経験が殆どです。

それは、他の誰とも、他の何とも比べないから、たった今の自分がやれるだけのことを普通にやっているだけなので、正直に大体いつも上手く歌えた感じが湧いて来ます。

それでもう一つ大切なのが、今回も前回のようにやろうなどと、微塵も思わない自分である、ということです。

それで結果、いつも同じような感じで、良い時の再現のようになっている曲も結構ありますが、それは、自分がそんなにも日進月歩で成長していない証しなのか、それとも、劣化せずに現状維持に見える、ということは細やかな進歩と捉えるのか、意見が別れるところかとは思います。

こんな風に歌うものですから、変な緊張、過度な緊張も殆どありません。

僕は、嘘をつくために人前に出るのではありませんから。

今では信憑性にも乏しいレトロな機械に嘘発見器なんてものがありましたが、あれは、嘘をつく=極度の緊張を捉える装置だった筈です。

心にも無いことを "演じて見せる" のが歌うことではありません。

今回は週末の本番までに二回ほど、カラオケBOXに入って指ならしをしましたが、声はやっぱり予想通り、予定通りにしっかりとは出ませんでした。

前以て気合い入れて歌っておこうとしても、正直な心と体がそのようにはさせてくれません、これは、相変わらずです。

自分って、こんなに歌下手くそだったっけ、と愕然とするほどに、こんな時にはまともに歌声なんか出やしません。

きっと、今、呼吸が切り替わる必然性を感じていないのです、心も体も、こんな時は。

それで、やっぱり人間ですから、こんなことで本番大丈夫やろかと不安にもなります、人並みに。

それでも、やっぱり変人ですから、人が聞いてもいない時にまともに歌えない、そんな自分を「よくできました(※正確には、よくできませんでした)」とめちゃくちゃ上機嫌で褒めている自分が居るのです。

当日、約束した三名が現地に来てくれて、約束した数名がZoomで繋がってくれて、聞く氣まんまんでそこに居てくれた時、呼吸は今回も見事に切り替わっていました。

日常生活では時折かわいい嘘もつく僕ではありますが、歌では今回も、大嘘つきにならずに済みました。

毎回何曲かは新しく試みる歌もやりますが、今回も全く初めてその場で歌う歌も、自分でも驚く程にバッチリ決めることが叶いました。

お客さんという存在と、素晴らしく見事な作品・名曲の数々が、僕の中に元からある、外界に向かって働き掛ける呼吸を、呼び覚ましてくれるのです。

世界中に、いや、そんなに範囲を広げなくても、そこいら中ご近所に、自分よりも歌の上手い人、高音域も楽々出せる人はゴロゴロと居ます。

それらと自分を比べても何の意味も無い。

自分の心と体が、自分の歌を聞こうとしてくれている人に対して、それがもしたったの一人だったとしても、瞬時に呼吸を切り替えて臨む。

それが実現出来たなら、他に二つと無い幸福がその場を包み、例え悲しいブルースを歌っても、明日を生きる勇気に繋がってゆくのです。

それが、歌というものだと、僕は思います。

今回の小さなライヴを終えても、やっぱり、そう思い続けることが出来ています。