呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

認識することと手を加えること

アドバイスすることは今を否定すること。

どんなにオブラートに包んで優しい言い方をしていても、アドバイスとは対象となる人の中に欠点や問題点を見出だしてそこに焦点を当ててしまっている、「今のままではいけない」という否定の言葉です。

「そのまんま、あなたはそのまんまでいいじゃないですか」

と何故言ってあげられないのでしょう。

これは勿論、僕自身に対しての戒めでもあり、決して東国原さんへの忠告ではありません。

僕は今でも時々、本当に極々希に、アドバイスしてしまいますし、もしも目の前で暴力沙汰やなんかがあれば止めるでしょうし、他にやり方があるだろうと分かったようなことをきっと言うなり思うなりするでしょう。

更には自分にその火の粉が降りかかって来たならば「そのまんまでいいじゃないですか」とは絶対に言わなさそうです。「何をさらすんじゃい、ボケ!」と反撃もすることでしょう。

それかその場から逃げるように直ぐ様立ち去るか(笑)

でもこれは単純な話では無くて、暴力沙汰を起こすような人は、きっとそれまでに「あなたはそのまんまでいい」ということを、余りにも伝えられ無さ過ぎた人なんだと思います。

とかくこの世は「そのままではいけない」というメッセージで溢れています。

読者の皆さんもとっくにお分かりの事かとは思いますが、きっと恐怖心を煽ることが一番お金儲けに直結するからだと思います。

呼吸もその例外では無い、そのように僕は感じています。

“呼吸を改善しましょう、呼吸を整えましょう(でないと、あなたの将来は大変なことになりますよ)”といった煽り文句、結構目にする機会も多いのではないでしょうか。

自分の命を繋ぐ為に確かに呼吸という営みが体の中にある。

それを、しっかりと事実として認識することも非常に大事だと思いますが、それよりも更に大事なのは、その認識した呼吸を、意識でどうのこうのと触ること無く、手付かずの状態でそのまんまで見守ることです。

宇宙とか自然とか、身近なところでは御先祖様とか、そのような計り知れない何かからの恩恵とも言える命、それを繋ぐ呼吸。そのそのまんまの姿や有り様がどれだけ凄いか、そのまんま手付かずの呼吸を認識し感じることで、どれだけの深遠なる世界が広がっているか。

そこにアドバイス、こうすればもっと良くなるというような横ヤリは一切必要無いと僕は常々感じています。

自分で自分を認める事は本当に困難なことです。いくら言葉で心で自分に言い聞かせてみても、心底本心から自分を認めることは、凄まじい過去をリアルに体験して来た当の本人だからこそ、それはそれは至難の技です。

しかし、そんな時こそ、呼吸と出会ってそっと見守ってみるのです。

呼吸の数を数えたり、息をちょっと止めたり、そのようなことを一切せずに、呼吸が長いとか短いとか、浅いとか深いとかの判断もせずに、確かに、今肉体を伴って生きているからにはどのようなものであれ確かに呼吸はある。

それは、雑念とか集中とかに興味があり、そのような方面でスキルアップを目指しているような方には非常に申し訳なく思いますが、雑念ごときで呼吸は止まる筈もなく、どんなに考え事が頭の中に渦巻いていても、残念ながら呼吸は続いている、という意味です。

雑念にも負けずに呼吸に集中出来た自分が偉いのではなく、雑念があろうが無かろうが営まれ続けている呼吸が凄い、ということです。

それを認めることこそが、自分を認めることだと思います。

そんな中で、本当に必要な時に、呼吸は切り替わるのです。