呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

テンポが悪くてスミマセン。それから、ワークショップはこれからはリクエスト制で、お願いします🙇

また内容をお忘れでしょう。

あれほど自重気味に更新のタイミングに関して記述しておきながらまた大分間隔が空いてしまいました。

この調子でもしも車を運転したなら、同乗者は間違いなく酔いますね。このブログの読者の皆さんはビニール袋をどうぞ。

前回はぼやきながら色々と散りばめ過ぎて収拾がつかなくなって一旦強制終了した形でした。

それで翌日にはつづきを書き始めたものの、今の社会を構成している事象を改めて見詰め直してみると結構なショック度合いだったので気軽にポチポチ出来なくなってしまってました。

そうなんです、意外と繊細なんです。

最近よく書籍なんかでも取り上げられている“繊細さん”よりは大分楽に生きさせてもらってるとは思うのですが、それでも繊細は繊細です。

呼吸が切り替わってないのが主流で重宝されて持ち上げられて持て囃されている、そんな世の中。

ニュース番組でスポーツニュースの時間が多目に設定される意味合いとは。

スポーツの全てが美しい訳では無いけれど、それでもまだ、スポーツの中には純粋な美しさが大量に残っている。

開催運営する仕組みや団体や目的······の一部はと敢えて添えておきますが、それはそれは酷いもんなんでしょうけれど、エネルギーが発露するその瞬間々々には何の罪も無く自然の摂理が凝縮されています、呼吸は切り替わっています。

芸術はスポーツとは勿論違うけれども、スポーツの中の洗練されたプレーの一瞬が芸術的としか見えないことがあるのは何故なのか。

反対に、芸術活動として躍起になっていることがあまり良くない意味合いでスポーツ的に見えてしまうことがあるのは一体どういうことなのか。

そもそも分けて考える必要があるのか。

そんなことを考えていましたら、オンラインワークショップを開放せずに何週間か経っていたようで、申し訳ございませんでした。

そんな中、開講リクエストを頂いて「ハッ」と気付きました。

これからはご依頼を頂いたらやらせて頂くのが良いと思いましたので、オンラインでも対面でも、ワークショップのご依頼をお待ちしております。

こちらから「やりますよー」と言う頻度はもしかすると減るかも知れません。

↓下記HP内に、tonus.mn@gmail.comというアドレスが太字で表示されますので、そこをクリックして頂くか、tonus.mn@gmail.comを宛先欄に手入力してご連絡ください。

https://tonus-mn.jimdofree.com/

それで、そう、ちょっと仕切り直しみたいになってしまいましたが、物凄く良く表現出来ているとはどういうことなのかを、ゆっくりゆっくり咀嚼しながら薄皮を剥ぐように書き進めて行くことにします。

先のアドレスから、色々とご質問や励ましのお言葉を頂けると更に有り難く思います。