僕のワークショップにいつも熱心に関わってくださっているある声楽家の方からコンサートの招待状を頂きました。
約5年前に大病を患われてから懸命の努力で克服され、きっと生きている証としての記念碑的な歌声を披露される、それでいて何処か力の抜けた明るい、そんな決意がお手紙からは伝わって来ました。
ウィルスに対して腰が引けたような今のご時世、先ず招待状を送っても良いかどうか、確認のメールをくださいました。
僕はそのメールのタイトルを読んだ時点で反射的に99%、そして開いて、本文を読むのではなく全体的に眺めた瞬間にはもう100%、「このコンサートには絶対に行く」、と体が反応していました。頭で考えるのでは無く体がです。
まだまだ相変わらずこのような催しをする際にはソーシャルディスタンスの諸注意事項など、会場側からの制約を沢山言い渡されたことでしょう。
それと共に、聴きに行く側の方でも行くべきか行かざるべきかとの迷いが頭をぐるぐる巡ることも多いかと思います。
けれどそれらは全て頭の中での世界。
今回このような一大決心でコンサートを開かれるに当たって、きっと僕とは違って練習やリハーサルも重ねられますよね(笑)
要所々々でマスクや除菌アイテムも駆使しながら、リスクと背中合せの活動となる筈です。
それでも、表現しておきたい何かがあるということ、人間にはそんな時、そんな瞬間があるということなんだと僕は思います。
そういう事にウィルスがどうのこうのは、本来あんまり関係無いように僕には思えてなりません。
そんな大切な瞬間に立ち会わせて頂ける、その稀少な一人として選んで頂いた。
ここに行こうか行くまいか、頭で考える余地が入り込む隙は、少なくとも僕には無かったということです。
物事に関わるということは、いつも本来、こんな風に打てば響く関係、リズムもテンポも清々しいもので、そうじゃない物事、ちょっとでも悩んだり考えたりする事に義理や付き合いで首を突っ込んでも、結果的にお互いあんまり幸福になれないように思うのです。無理はしない方が良い。
今回ご招待頂いたこのコンサートに関しては、体が既に会場で歌声を聴いている姿をイメージしてしまっているようです。
きっと気持ちの晴れやかな、それはそれは素晴らしいコンサートになるのではないでしょうか。
僕は勿論評論家としてなんかでは無く、一人の人間として聴かせて頂くのです。ゆったりとした穏やかな心で。
こんな時に「ワークショップの成果が···」とか「呼吸の効用効果が···」とか、そんな五月蝿い事が頭を過ることすらなく、命の表現を楽しむのです。
今から本当に待ち遠しくてなりません。