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酷暑の中を松陰神社前まで行って良かったです。“みんなのジッカ”という居心地の良いスペースで、私も含めた参加者6名が飾らない表現を重ねに重ねて実質三時間、本当に稔り多い時間となりました。
ギター弾き語りや朗読に即興その他色々、全くの初体験でも、何も言わずに黙って聞いてくれて、ちゃんと反応してくれる人々の前でとにかくやってみることは、その人にしか表現出来ないキラリと光る瞬間に出会う為にはやっぱり大切であることをこれでもかと再確認しました。
お金を出して何かを習いに行く時に、教える側はレッスンが成り立つように何か課題を見付けようという“構え”で受講者を観察してしまっていないか?も大事な盲点ですが、習う側も、レッスンがスムーズに成立する為に、生徒として可愛がってもらえる存在でいる為に、潜在能力を発揮しない方向で居心地の良さを担保してしまっていないか?は、もっと見落とし勝ちな盲点中の盲点です。せっかくお金を払って習いに来てるんだから何かを得ないと勿体無いというのではなく、せっかくお金を払って習いに来てるんだからレッスンが成立している感を大切にしないと勿体無いという傾向とも言えましょうか?(そのように振る舞ってしまっている人がどんなに確認しても自分では全く気付かない、だから盲点なんです)。初対面の時にドカーンと一発かまして、「私の力量では貴方にお教えすることなど何もありません!」と、先生という立場の人に言わしめたって良い筈です。
にわか評論家の無責任で辛辣なだけの感想など不要なのは分かりますが、良かれと思って発するアドバイスすら裏を返すと“今のは良くなかった”という否定をオブラートに包んで言ってるだけでもありますから、そんなものも実は不要であると、皆さん今日は味わってもらえたと思います。
例え自分ではどんなにおぼろ気で頼りない存在だと思っていても、しっかりとそこに在ってほんの吐息だけでも聞かせてくれたなら、その潔さにみんなは心を射たれずには居られないんです。
そんなこんなで今回も写真は無いんです。
※誰か撮っておられたので何かの画像で今日の様子はご覧頂けるとは思いますが、このブログでは、写真は無いんです。←ついに開き直った!