なかやまのATT日記-140字では納まりきらない呟き

A=あるがままに T=とりとめもなく T=たいくつしのぎ・・・な日記。

約半年ぶりに歌わせて頂きました⑤

f:id:nakayama-att:20161017164142j:plain

 優しい声、美しい声。先日も書きましたが声の質に関して先に答えが決められてしまっているならば、場合によっては虚構を演じるしか無いことになります。

毎日のように発信され続ける身の周りのニュースはどういったものでしょう?どんな環境の中に身を置いていて、どんな食材を口にし、どんな音が街から耳に届いていてどんな空気を吸って、無神経が普通になってしまった人を避けながら歩く。その時に身体(=心)に感じる妙な捻じ曲がり具合が蓄積された中でそのような環境とはかけ離れた時代に成立した様式(例えばクラシックの歌曲など)をなぞる意味とは一体何でしょうか?(クラシック音楽の巨匠達が今の時代に生きていたならば恐らくクラシック音楽はやっていないと思う理由はそこです。)そのような行いに意味がない等とは全く思っていないどころか物凄く大切な意味が含まれていると思っています。

どんな表現をするにせよ、自分自身の身体を通してしかそれを為し得ない訳で、例えば私自身の決して立派とは言えない体つきや姿勢、少しの肩凝りや悩み事などをざっと見渡した時に、普通に考えたらそんなところから美しい声なんか出て来る筈が無いと思うのです。

もし仮にこのままの身体である作品に合致するような美しい声で歌おうとした時に、その溝を埋める技術を学ぶのがレッスンなのだとしたら、面白い歌が減っていくのも頷ける話だと思います。喉が開いていないとか、脚が使えていないとか・・・。身体は正直ですから、少なくともその瞬間喉が開くようなトキメキは覚えていないし、下半身が思わず躍動するような活力を必要としていないだけの話です。

本当に表現者がやらなければならないことはそんなこととは真逆で、今あるこの身体が一体どのような音を発するのか?それをただ単純にただ潔く放出してみること以外には考えられないと思います。

そのたった一つの単純でいて多くの人にとって何故か最も難易度の高い課題をクリア出来た時に、世界に二つとないその人の持つ最もオリジナリティーのある声が生まれるのだと思います。そしてその声がたとえ嗄れていたとしても、その潔さに勝る美しさはないと信じています。