今回はピアニストがドタキャンする事態に見舞われていたらしく、共演者の伴奏がギクシャクするついでに人間関係もギクシャクしている雰囲気の中、仕事終わりにタクシーで駆け付けて歌うという経験をさせてもらいました。
到着するまでの異様な空気感がお客様からひしひしと伝わって来るようで内心焦りそうになりながらセッティングを独りでやり、それでも怒りの感情を上乗せしないよう割り切って和やかなトークを挟みながら7曲(+フィナーレでマイク無しの生音で1曲)を歌い切りました。
声が優しいと言って下さる方が何人か居られて、そう仰る方は歌声は優しくある方が良いという意味で言って下さっていると思うのですが、歌っている本人に取りましてはそれは単なる結果で、優しい声を出している積もりなどいつも全くありませんし、出そうと思ってもいません。寧ろやり場のない怒りといった感情も、歌うエネルギーの大きな一助にすらなっているであろうと思っています。
清浄という概念からは程遠いくらいに現代社会のピースと化している一人のただの人間が、もし優しい声というゴールを先に設定してしまっているならどんなにか面倒臭いでしょう。人様の前で歌うという場で、この期に及んで何かを大事に包み隠そうとしているなら「お前はそんな玉か?!」と自分に発破を掛け続ける、それが只一つ歌い手の心意気だと思います。
ところで急に話は横道に逸れますが、所謂クラシック音楽の巨匠達、そういった方々が今の時代に生きていたらクラシック音楽をやってると思いますか?
私が想像するとやってないと思います。
今回は前回の歌唱後感とは違い高揚感のない物静かな語り口で次回へと繋がっていきます、気の利いたライブの写真が1枚もない中、例によって全く内容と無関係な写真と共に。