なかやまのATT日記-140字では納まりきらない呟き

A=あるがままに T=とりとめもなく T=たいくつしのぎ・・・な日記。

~心に再び歌の灯がともる~③

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前回出て来ました「ヒポコンドリー性基調」という言葉ですが、百足(ムカデ)の例が自分には非常に分かり易く、 “ あぁ、自分のある一面を見事に言い表しているな ” と納得したものですが、それはこんな簡単なお話です。

驚くほどたくさんの足を見事に駆使して歩く百足を見て誰かがこう問いかけます。「百足さん、一体どうやったらそんなにたくさんの足で上手に歩くことが出来るのですか?

そう声を掛けられたとたん、百足は足が絡まって前に進めなくなってしまいました・・・と、こんな感じです。

例えば皆さんに呼吸と声のレッスンをさせて頂くという立場があって、呼吸と声に関してなんの問題も無い人間でなければ失格である(きっとそう思われているであろう)という普段の意識には上らない特有の緊張があったとして、そういうものが “ 出て当たり前の声 ” を出なくしてしまっていたのか?と想像してみたり・・・。

スポーツの世界では最近「イップス」という表現を耳にするようになりましたが、同じようなことなのかなぁ~と思っています。あのイチロー選手も日本のプロ野球で大活躍していた当時、実はイップスに悩まされながらプレーしていたという告白を、先日報道ステーションでしておられました(ビックリですね!)。だから私もイチロー選手並みだと言いたい訳ではありません、念の為。次元が違い過ぎるのは自覚してオリます。

何れにしましても、この5~6年の間にはそういう勝手な想像の他に、いろいろな事を経験しました。身近なところで倒産という状況があり、それを支援していた矢先に自分自身が10年働いていた職場をお払い箱になったりしました。東日本大震災では、直に被災した訳ではもちろんありませんが、少なからず目に見えない緊張感を世間一般並みに抱え込み続けていると思います(その傷跡も癒えぬ間に今度は九州で大変な事態が起こってしまいました)。そしてそれと時を同じくして、たまたまその頃に知り合った多くの友は、自分の何十倍もの密度で、大変な人生を送って来ている友ばかりでした。

そんなある日、心の中から歌の灯が消えた瞬間がありました。それまで、どんなに人前で歌うことから遠ざかっていようが、 “ どんなに追い込まれても最後には歌ってみせればなんとかなる ” “ いつでも自分には歌がある ” と、どこから湧き出て来るのかも分からない自身に裏打ちされて生きていましたが、その瞬間に歌への愛情からなにから、全てが消滅したのです。

無理やり言葉に置き換えるなら、歌が、こんな自分の歌が一体なんの力になるというのか?こんな非力な叫びで誰を慰めることが出来るのか?という感覚が体中を支配したのだろうと思います。

 

※10月1日(土) 第十一回 ミトミライブに出演します!!