歌手のマドンナが生活にヨガを取り入れ、その影響がステージにも及んでいるというような発言をしてからもう随分と月日が流れました。この場合ヨガと歌が関係性を持っているとは、ヨガのポーズをしながら歌うということでは勿論ないと思います(ヨガのポーズをしながら歌ってもそれは自由ですが)。
スポーツ選手は色々なトレーニングをします。走る競技以外のアスリートでもトレーニングで走ることはよくあります。しかも野球の投手は、ピッチング練習の時間よりも多く走ったりするかも知れません。また、格闘技の選手でもヨガを取り入れていたりもします。護摩業や坐禅等もあるようです。このような選手が試合中にポーズをとって瞑想をする場面は考えにくいです。
良し悪しの判断は別として、バーベルを持ち上げる、腹筋運動をする、逆立ちをする等その他色々・・・。これらトレーニング中の動きと全く同じ動きを、実際の競技中に行うことはあまりなさそうです。その動きで養った筋肉を駆使して実践に臨む訳です。
具体的なトレーニング以外でも、食事の面から見直す、睡眠の質や生活習慣を変える、本を読んで自分を変える等、よりよいパフォーマンスの為には周りの環境全てが無関係ではないという認識の下、自分に合ったトレーニング法を開発して行く能力が非常に大切だと思われます。
ここで例えば野球の投手が、「試合でほとんど走る場面なんかないのだから、こんなに走って何の役に立つのか?」と言ったらどうでしょう?
またマドンナが「ステージで実際に歌う時にこんな変なポーズをいちいちしてられない!」といってヨガをやめたとしたら・・・。
他にも柔道家が、「投げられたら負けなのに、受け身の練習なんか時間の無駄だ!」と言ったとしたら・・・、どのように思うでしょうか?(柔道が護身術の一種ということや精神修養への道といった、ある意味本質的なものからどんどん遠ざかり、ただ単に勝ち負けを争う競技スポーツ化の一途を辿るならば、このような言葉が現実的にならないとも限りませんが、今回の主題からは遠のいて行きますので、横道に逸れるのはこの位にしておきます)
呼吸法のレッスンをしていると、「確かに呼吸は楽になりますけど、こんなことしながら歌うんですか?」とか、「座ってばかりですが、私は立って歌いますから立ったらどうなるんですか?」とか、「実際に歌うと緊張してしまうので、どうすれば歌と繋がりますか?」といった質問が、度々出て来ます。
呼吸法を実践していてそれが歌にも良く反映されている方を観察すると、呼吸法に取り組んでいる間は歌のことなんか全く頭から飛んでいるように見受けられます。これが歌にどう繋がるとかそんなことは既に頭の中から消えていて、気持ち良い・楽しい・眠い・・・といった純粋なところに入っておられるようなのです。
そのように損得勘定抜きの純粋な世界に一時(ひととき)の間浸り、その経験を経た身体と心(=呼吸法をやっていた私と紛れもなく同じ私)で、歌う時が来たらただ歌ってみる。
その時に本当に全くなんの変化も無い(呼吸法の好影響が見られない)のだとしたら、それはきっと、純粋に呼吸法に没頭している時間が足りていないのではないか?と思うのです。
呼吸法は決して歌に繋げたり、また繋がらなかったりするような、そんな考え方の入る余地のないものだと思っています。
呼吸法を経験した心身でもって歌う・・・ただそれだけだと思います。