呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

何故はっきりと言わない場合があるのかをはっきりと説明してみる

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先日知り合いの方が、「ある音楽会で『フレーズの増減が出来ない人は、山田耕筰を唄っちゃダメ!』とコメントした審査員が居て、とても面白かった」という話をしてくれました。

これから書くことは、上記コメントの内容について深く立ち入るものではありません。“ はっきりとものを言う ” の良い例として使わせて頂いているだけなので、どうか読者の皆様もここで引っ掛からないで下さい。意味を考えたり正しいとか正しくないとか・・・。

世の中にはこの例のように、はっきりと一刀両断に物事を判断し、ものの見事に言葉にして、人々の印象に残すタイプの方が居られます。

勢いが余ると “ はったりを利かせる ” ことにも繋がりかねない(念を押しますが、上記コメントがはったりだと言っている訳ではありません)表現形式だなぁ~、等と思ってしまうのが筆者です。もし同じ立場で、同じことを感じていたとしても、この例のようには決して言わないであろう自分が居ます。

その辺りの思考の構造を簡単に探ってみますと、こうです。この審査員が何年後でも何十年後でも構いません、ある唄を聞いてこういうコメントをしているシーンが想像されるのです・・・「私は今の今までフレーズの増減が出来ない人は山田耕筰を唄っちゃダメだと思い込んでいました。しかし貴方の唄を聞いてその考えが変わりました(いやぁ~、いい勉強になりました、ありがとうございます)。」

人間にはそれこそ無限の可能性が秘められている訳ですから、上に挙げた想像で述べたような出来事が起こる可能性は決して無いとは言えない、否それどころかごく普通に存在する筈です。

そんな訳で冒頭の審査員のコメントを自分流に言い換えてみると、次のようになると思います。

「私は未だかつてフレーズの増減が出来ない人で、山田耕筰を上手く歌いこなせた人を残念ながら見たことが無い。」

これまでの経験で自身が知らないだけのことを、それが全ての答であるかのようには言えない、「何様の積もり?」といつも自分に問い掛けながらものを言うようにしているので、だからいつもいつもはっきりと判断して良い悪い等を言えない場合があるという、そんな説明でした。

はっきりとものを言う人の方が、話も明解だし頼り甲斐があって付いて行きやすい、そういう人の方が商売も上手く行くのかな?とは思いますが、はっきりしない人に対しては闇雲にイライラすることなく、その人の豊かな想像力と、もう一歩先を見据えた思慮深さに因るところが大きいということを理解して頂けると、非常に有り難いと思います。

はっきりと意思表示をしない国民性、欧米人による日本人観に関わる諸問題にしても同じ見方が出来そうだと、そんな風にも思えて来ます。