呼吸は切り替わる~名前のない、もう一つの呼吸法~

呼吸 声 歌 心 体 演奏 バランス 整える 緊張 リラックス  潜在能力 聞く 感じる 伝える 存在 表現 充実

“緊張”に関する指導、アドヴァイスから見えて来るもの③

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声を出す、歌う、何らかのパフォーマンスをするその時に肩に力が入らないようにする、その為に・・・例えば腹に力を入れてみる。

一見シンプルな解決策に見えなくもないこの短い言葉が、新しい迷いを生むきっかけになることも多くあります。

どうしても抜けない肩の力を抜く、これをマイナスの作業とすると、腹に力を入れるのはプラスの作業ですから、意識的に行いやすい点で若干易しいかも知れません。しかしちょっと自分でやろうとしてみると分かりますが、「果たしてこれで合ってんの?」という不安がすぐに現れます。シットアップに代表される腹筋運動のように力を入れることも可能ですし、排泄行為のようなやり方も出来ます。或いは腹芸のようにお腹を引っ込めたり突き出したりするパターンも考えられます。息を詰めてじっと身体を固めることでもなんとなくお腹に力が入った感じがします。これ以外にも色々なパターンがあるでしょうし、それらが混ざり合って人それぞれ、その時々でも違ったものが出て来ます。

指導者の経験と眼力で、突然出て来る正解を「それだ!」と漏らさず指摘するやり方で、教わる側は次第に正解率が上がる、という方法が世間一般では多く採用されているようです(この時指導者の感性がご自身の癖ではなく、あくまでも自然の摂理に則ったものであることを願わずには居れません)。

教わる側は、「何故今急に出来たのだろう?あれっ、どうやるんだっけ?さっきと同じようにならない」と再び試行錯誤しながら、また突然「それで良い!」と褒められたりする。

身体の使い方を学ぶ時、便宜上どこかキーポイントとなる部位から良い連鎖を起こそうとする取り組み方は決して間違いではないと思います。そしてその反応を、指導者と教わる側の信頼関係の中で大切に見守りながら育てて行くのがレッスンだと思うのです。

そうした最低条件の中に於いて、腹に力を入れるというキーワードは、正しい連鎖のスタート地点には相応しくないと感じます。

腹部の理想的な緊張は、意識で起こすものでは無く(非常に効率が悪いという意味で)、もっと他のスタート地点として相応しい部位から伝わった連鎖の一つの結果として、又は中継地点として、後発的に現れる現象だとする方が、圧倒的に解決は早くなります。

それは、私達が暮らすこの現世には重力があるからです。

腹部だけがその場にぽっかりと浮かんでいる訳ではなく、その他の部位の積み重ねの途中に “ 腹筋・お腹・丹田・・・ ” どんな呼び名や概念であろうとそれは在ります。

話を初めから整理しますと、例えば肩を緊張させない為にお腹をその代替的支持部位に任命して積極的に働いてもらおうとする時、更にそれを支えているものを見逃してはなりません。腹部ですらそうなのですから、その上部に位置する横隔膜を第一に意識して支えるのは、もっと不自然だと言えます(※ここまでの話は主に座位・立位についてであり、寝転がったり四つん這いの姿勢では、他の多くの哺乳動物達と同じように身体が地面と平行になり、直立姿勢特有の複雑な条件から解放される為にこのような苦労からは解放されると、恩師米山文明先生から教わりました)。

腹部はどこが支えてくれているのでしょう?ずっとずっと下へ辿って行きましょう。そこに答はあります。地面(や椅子の座面)との接点に辿り着く筈です。

そこで何が起きているのか?そことどのように接することが出来ていて、どれだけそこを信頼して自分という存在を預けることが出来ているか?骨や筋肉その他物質としての重みと、心からの信頼感がもたらす重みを完全なる信頼の下にそこに預ける。

これら条件が整った時に、腹部の絶妙な緊張は生まれ、そして肩の緊張は必要が無くなるので自然と解消します。

同じ試行錯誤をするなら、地面への預け方に工夫を凝らす方が効率が良いという解に、なんとかご案内出来たでしょうか。また次回以降、更に詳しく掘り下げる積りです。

達人が必ずしも説明や伝達の達人とは限らず、最も自身の中で意識の高い感覚を取り出して「貴方もこういう感覚になりなさい」という意味で指導することがあります。腹部の緊張、丹田の意識・・・。これらがあたかも自分の意志だけで突然現れた感覚で、そのまま他者に伝播させようとしても多くの場合無理があります。指導者には、 “ 私のこの心地好い感覚が育まれた背景 ” の上流に妥協なく遡り、その遡った地点から伝える責任と義務があるのではないかと思うのです。これは勿論ここで述べている印象以上に簡単なことではなく、きりが無い作業です。但しいくらきりが無いと言っても、その責任に気付きながら常に深化し続ける姿勢と共に指導出来ているかどうか?は心がけ次第で、最も大切なことだと思うのです。